ミサとチマッティ神父   




病人への堅信式

病人への堅信式

新築の大分教会で祈るチマッティ神父

新築の大分教会で祈るチマッティ神父



  祈りの人   


 東京の枢機卿であった白柳大司教はチマッティ神父の列福列聖調査を始めた時に、 現代の世界の人々は祈りをする神父を求めている。チマッティ神父は「祈りの人」であったので、 当時のすべての人から、どこへ行っても、喜んで迎えられました」。 確かに祈るチマッティ神父の姿はとても愛想の良いものでありました。 しかし祈りについて、チマッティ神父のこのことばがあります「個人的に祈りをする時にどんな姿を取ってもよいですが、 人と一緒に祈りをする時に、見せびらかしの姿はいけません。 私は若い時に尊者アンドレア・ベルトラミの祈る姿を眺めてとても感銘を受けました。 彼は共同体と共に祈りをする時には、神の名前を口にする時にだけ頭を深く下げていたのです」。
 チマッティ神父は司祭たちの黙想会にこのように言っていました「祭壇に立つ司祭はもう一人のキリストであり、 生贄となるキリストをミサの時に表さなければなりません」。
 来日したばかりの一人の宣教師は日本語のことばの難しさを感じて、勉強を断念して、故郷に帰ることにしていました。 その時にチマッティ神父に会ってそのことを打ち明けましたら、次の強いことばを言われました 「司祭は自分を捧げるもう一人のキリストであります。イエスは困難に遭った時に逃げたのではなく、 人の救いのためにそれを受け入れたのです」。



   ミサは一日の一番大事なこと    


 さて、チマッティ神父のミサはどうだったのでしょうか。彼にとってミサは一日の一番大事なことで、 その準備と感謝に力を注いでいたのです。先ず、どんな犠牲をはらっても、長い距離をあるいても、 健康はどうであったとしても、それを毎日、ある時は何回も、たてました。 ミサは短かったがラテン語のことばをはっきりと発音していました。歌う時に彼のバリトンの声は全教会に響き、 あることばの前に、感激で、声が震えるほどでした。とにかく人は彼のミサに引き付けられていました。
 ヴァルサリチェ学院の若い彼の弟子たちのことばがあります「私達にとってチマッティ神父のミサにあずかることは喜びでした。 彼は主と本当に話しをしている印象を与え、私達に不思議な何かを感じさせてくれました」。
 宮崎市の古いキリスト者はチマッティ神父のミサについてこのことばを残しています 「チマッティ神父のミサで私達の頭に浮かんできていたのはシナイ山で神と話をするモーセでありました。 彼は主と完全に一致していて、その顔は別世界に住んでいたかのようでした。彼の声はどんな人の耳にも届き、 私達の心に主のことばを味あわせていました」。
 いく人かのサレジオ会員のことばがあります「ミサの祈りの中でチマッティ神父の心が特に感じられたのは、 「パンと葡萄酒の聖変化」と「主の祈り」を唱える時でした。イエスと一つになっていることを仕草や声の荘厳さと喜びを皆に感じさせていました」。





                                

                                             チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                  令和 5年 12月 6日


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