チマッティ神父の取り次ぎによる恵み
「奇跡はあるか」 ― 1991年、チマッティ神父はヨハネ・パウロ2世教皇から「尊者 Venerabile」の称号を与えられた。これは、その生涯や聖徳についての調査が終了し、聖人の資格があることを認められたという意味である。次は「福者」そして「聖人」になるであろうが、そのため、その取り次ぎによる一つの「奇跡」が必要である。殉教者の場合にのみ奇跡が必要とされないのである。
教皇ヨハネ・パウロ2世は、25年間の在任中、何百人もの「福者」や「聖人」を列福・列聖なさった。それぞれのために「聖人の奇跡調査委員会」から奇跡が認定された。「奇跡」は、神による「恵み」である。しかし、すべての「恵み」は「奇跡」ではない。わたしたちの存在や自然も神の「恵み」であるが、「奇跡」とはいわない。教会が「奇跡」として認めるのは、内容や状況から見て、自然に説明できない出来事、たとえば、末期状態のガンや、骨折や身体的な疾病が急に治ることなどのような出来事である。そこには、神の特別な計らいが認められるからである。もちろん、その出来事を証明する証拠が必要である。たとえば、治癒前後のカルテや、担当医の証言など。しかし、医師が証言するのは、説明できないということであり、奇跡ではない。奇跡は教会が判断する。
「聖人の取り次ぎ」 ― 問題は、その出来事が聖人の「取り次ぎ」によるかということであろう。これは、その聖人に祈った人の証言やその時の状況から判断できる。カトリック教会では、救われた方、すなわち聖人は、永遠に神のもとにおられ、わたしたちのために取り次ぐことができると信じている。そのため、信者は聖人の取り次ぎを願うのである。もしその聖人に祈って恵みがいただいたならば、その聖人が神のもとにおられることの「しるし」となる。
「チマッティ神父の取り次ぎによる恵み」 ― 尊者チマッティ神父を福者にするには、今、一つの奇跡が期待され、そのために神の恵みを願う必要がある。師を慕っている多くの人びとから恵みをいただいたという報告が数多く届いているが、奇跡の条件が満たされているかどうかは、教会の判断に任せるべきである。ここで紹介する出来事は、いずれもチマッティ神父の取り次ぎの力を示す不思議なものである。今後も、恵みをいただいた方は、担当のコンプリ神父へお知らせください。
注:プライバシーの関係で、氏名を略して出来事を発表する。細かいデーターは、チマッティ資料館に保存されている。本人の許可があれば、氏名を公表することも可能である。
●うつ病を乗り越えて
A.U. 東京 2005年6月
2003年11月14日、私の主人が仕事上の過酷な労働とプレッシャーから倒れました。私は過労ぐらい1日か2日休めば治ると思い、その時までうつ病の大変さを考えてもいませんでした。軽い気持ちでいたのです。
しかし、主人は来る日も来る日も布団の中で眠るばかりで、起きあがろうとしません。食欲もなく、何を話しかけても、ただぼーっとしているだけ。体重はどんどん減り、全く話すこともしません。もちろん仕事も行けません。自分のせいで仕事を他の人に押しつける、そのために皆に迷惑をかけることが苦しいようで、ただでさえ責任感が強く、真面目な性格で、人の仕事まで自分でかぶるような人なので、その時は自殺でもされたらなど悪い方に考え、とても心配しました。天気の良い日は公園に散歩に誘ったりして気分を変えてみたり、うつとわかっていても、まるで老人と歩いているようで40代の男とは思えず、悲しさが私を襲ってきました。
家庭の中も子供たちが中学3年、高校3年とちょうど進学の時期でもありお父さんが病気で休んでいることは分かっていても、うつ病には理解がありませんでした。家庭も段々暗くなり、中学の息子も進学の問題もあり、どんどん気持ちが荒れ、私にぶつけ始めました。高校の娘も自分の進路を見失い荒れ始めました。
私もその頃は、これからの生活を思うと、もっと仕事を増やし、生活費を稼がなくてはと必死で働きました。こんなに私が働いて疲れているのに主人は相変わらず布団の中でねている姿にカーッとなり「いつまで寝ているの。もう治っているのよ。早く仕事に行って」と感情にまかせ怒鳴りました。そんな時、悲しそうに私を見上げる主人に腹が立つのと、病気なんだから仕方がない、なんと罪深いことを私は言うのか、言ったあとで涙がこぼれました。その頃から私も心のバランスが乱れ始め、このまま2人で泥沼に吸い込まれる気持ちにまでなっていました。
そんな時、『そうだ。6日のチマッティ神父様のミサに行き心を全部解放しよう』と主人とミサにあずかり、うつ病を治してくださいと祈り、またミサの中でも皆さんにお祈りしていただきました。その後も6日のミサは毎月2人で「チマッティ神父様のお取り次ぎによって、うつ病を治してください。私と主人に勇気と力を与えてください。」と何度も祈りました。
その頃から、主人もどんどん元気を取り戻し、うつ病も良い方向に向かっていき、先生からも仕事に行く許可も出ました。発病から半年後のことでした。元の職場に戻ればまた同じことの繰り返しなので、別の部署を希望したところすぐに楽なところに変わることができました。主人のことは一安心です。
そんな折り、今度は私に倦怠感と恐ろしいぐらいの疲れが襲ってきました。すぐに病院に行ったところ、軽いうつ病でした。自分もうつ病になり、初めてこの病気のつらさがわかりました。随分と主人に酷いことを言ったものだと思いました。
この頃からすべては神のご計画ではなかったのかと思い始めました。毎日追われるように生活をし、心の余裕を無くし、がむしゃらに働く日々に私たちはうつ病で救われたのではないかと考え始めました。もしあのまま働いていたらもっと怖い病気になっていたかもしれません。子供たちも親に頼れないので自分で考え行動するようになり、自立し始めました。
うつという病気を夫婦で乗り越え、寒い冬から暖かい春へと向かっていることを実感し、神への感謝の気持ちでいっぱいです。「いつでも喜んでいなさい」という気持ちが良く分かりました。思わぬ神様からのプレゼントに家族を愛すること、喜び、祈ること、感謝、謙虚な心を取り戻したようです。
●未来は神のみ手のなかに!
シスター マリア・ボスコ 加藤美紀 2004年2月25日
この1月はじめに私は、インフルエンザによる40度近くの高熱をきっかけとして、両目のひどい充血と腫れ、激しい痛みに襲われ、6日、東北随一の名医ともいわれる山田孝彦眼科を受診、19日に2度目の受診をしましたが2週間たっても治癒しないことに、医師も首をかしげていました。26日に3度目の受診で、「眼球全体が裏側から圧迫され、前面に突き出している。眼圧も正常値よりはるかに高く、視力は急激に落ち、血管の腫れと充血がひどい。これはご本人が考えておられるより重いかもしれません。目の病気ではなく、脳腫瘍の可能性があります。眼圧を下げるための強い点眼薬を2日つけてみて今の症状が治らなければ、脳のCTをとる必要があります。」との診断がくだりました。信仰の弱い私はこの予想外の宣告まがいのことばに動揺し、恐怖感でいっぱいになってしまい、祈ることすらできませんでした。
しかし、東京で家庭をもつ姉が、毎月6日に行われる調布神学院でのミサがあることを知って1月に初めてうかがい、コンプリ神父様が生き生きとチマッチ神父様のことを説教されていて大変感銘を受け、「聖人のためにまい進する方は、表情まで本当に晴れ晴れとして喜びに輝いておられ、あんなに幸せそうなお顔はどこでも見られないものだった・・」と感激した旨を聞いたばかりであったことを思い出し、まず姉に病気の診断を知らせることにしました。すると、ちょうど姉は上智大学時代の同窓生から「身近に病人がいる人は是非チマッチ神父様に取り次ぎを願うよう教えてあげて」というメールを受け取ったばかりであり、チマッチ神父様にいっしょに祈りましょう、ということになりました。
それでも恐怖心に圧倒されてしまって、まだ祈れるまでに心定まらない不信仰な私は、現在の使徒職として携わっている仙台白百合学園中高の宗教を担当する教師として、生徒たちにぜひとも読ませたい本として、チマッチ神父様の書簡集とオペラのVTR、ドン・ボスコのVTRをコンプリ神父様よりお送りいただいておりましたので、慰めのことばを求めて書簡集を開いてみますと、「今の時間だけが君のものだ。未来は神のみ手のなかにある」ということばが心を深く満たしはじめ、ようやく初めての心の落ち着きを取り戻しはじめたのです。点眼薬をつけてもまったく症状は変化せず、目の奥をえぐるような激痛と腫れと充血に悩まされ、これは覚悟しなければならないと絶望的な気持で諦めていましたが、このチマッチ神父様のお勧めに従い、万事み手におゆだねしよう・・・という気持が芽生え始めました。
翌朝28日はまだ目が真っ赤でなんらの改善もみられませんでしたが、ミサの時、はじめて「もし目が治れば、チマッチ神父様のお取り次ぎの力によるものと信じます。もし完治すれば、神様のみ栄えのため、青少年の教育に専念します」と明白な意識をもって祈りました。その後、朝食を食べてから、個室の鏡を見てみると、なんと、うそのように目の充血がひいているうえに、痛みが軽いかゆみに変わっていたのです。驚いて眼科に行ってみると、眼圧まで正常値に下がっており、眼球全体の腫れも引き、眼球が前面に飛び出ていたのが元の状態に戻っている。薬をつけてもいっこうに治る気配のなかった目が、チマッチ神父様をはっきり意識して一度祈ったミサのあとで、一瞬のうちに正常に戻ってしまった驚きは、私ひとりの感謝でとどめてはならないほど奇跡的なものに感じられました。もちろん脳のCTを実際にはとっておりませんので、もともとそのような腫瘍が存在したことも、消えたことも科学的に立証はできません。しかし、東北大医学部でも非常勤で教鞭をとる名医の誉れ高い、臨床経験も豊富な医師が「診察したとき、実は内心びっくりしました」と最後にいわれたほどのひどい(またはなぞの)状態にあった私の目が、薬はつけたとはいえ、突然に効能を発揮したのがチマッチ神父様への取り次ぎを願った直後であったことは事実です。
この一件が列福調査のお役に立てるとは思えませんが、しかし、さまざまな悩み、苦しみ、絶望の危険からチマッチ神父様によって癒され、恵まれ、救われている者が、実はたくさんたくさん存在するのだということの、ほんの一例としてでも是非お伝えせずにはいられないほど歓喜と感謝の心が溢れ、ご紹介させていただきました。
最後に眼科に行く直前に開いた書簡集に、「日本にシスターの派遣をお願いします。シスターたちはたくさん仕事を助けてくれるでしょう」ということばを見つけたときに得た、自らの召命への誇り、勇気、喜びは、今後も何にもまさる支えとなります。終生誓願に向けての最良の準備となりました。チマッチ神父様を模範としてよいシスターになるよう精進いたします。
●助けてくれたチマッティ神父
晴佐久唱英神父様(東京・高円寺教会主任司祭)の説教 2003年10月26日
HP「福音の森」<homepage2.nifty.com/immanuela/hoshi>より一部抜粋
インターネットで説教を読んでいるある方から昨日いただいた手紙を紹介します。
この方のお父様が小さい頃、カトリック系の施設に預けられたそうです。新入りの彼はそこでいじめにあってとても辛かった。当番制のはずのトイレ掃除を全部押し付けられて小学校3年の彼は毎日トイレ掃除をしていた。するといつも必ずどこからともなく一人の神父が現れて手伝ってくれ、一番きたないところを一生懸命こすって掃除してくれたそうです。
その神父の名前はチマッチ神父。ご存知でしょうか。今列福調査がすすめられている方です。
この優しい神父さんの話をお父さんは娘にいつも話してくれたので、心に深く残ったそうです。どこからともなく現れて手伝ってくれる神父さんの話、いい話ですね。神父にはその子が見えているってことでしょうね。壁を越える聖人の姿です。
ところで、そんな娘も大人になり、その話も忘れかけていたころ、彼女は教会でオルガン奉仕をするようになったけれども、昔弾いていたようにはうまく弾けなくてすごく苦しみました。手も動かないし楽譜も覚えられない。やがて神経症的に辛くなって、オルガン奉仕の当番の朝は緊張のあまり3時に目が覚めてトイレに通うようになり、ついには胃潰瘍になってしまい、もう無理だ、奉仕は出来ない、断ろうと思った。
その時ふと届いた雑誌を開いたらチマッチ神父さんの写真が載っていた。その写真を見たとたんに、小さい頃よく父親から聞かされた「どこからともなく現れて助けてくれた神父」の話を思い出し、わけのわからない涙がポタポタ落ちたそうです。
彼女は自分の伴奏楽譜の表紙の裏側にチマッチ神父の御絵を張って、緊張してもうだめだと思うたびに御絵に励まされて、恐れに打ち勝ってきたそうです。
そのころインターネットで「福音の森」にも出会い、高円寺教会の神父が「ミサにお帰りなさい。このミサで神の愛にどっぷりとつかって体の芯まであったまってください」とそう言っているのを聞いて、本当に安心し、毎週の説教に励まされてミサでの典礼奉仕を今でも続けているそうです。
●二人の息子の仲を取り持ってくださった神父様
S.N 2004年1月23日
私には息子が二人おります。その息子達がどういう訳か仲が悪いのです。私はそのことでいつも悲しく思っていて、何とか二人きりの兄弟なのですから、もう少し仲良くならないものかとずっと心配しておりました。私の思いをチマッティ神父様に心からお願いいたしました。涙がポロポロでました。するとその後二人が会った時、私の目の前でお互いに「今まで悪かった、悪かった、許してくれ」と言いながら、抱き合っているのです。私はびっくりすると同時に、「あぁ、チマッティ神父様のおかげだなあ」と翌日、お墓にお礼に伺いました。このように神父様のお取り次ぎによってお恵みをいただきまして、もう感謝の心でいっぱいでございます。
●卒業も赤ちゃんもかなえられた
Arieti Cecilia、イタリア Lariano 2002年12月20日
このかたは、チマッティ神父の取次ぎによる次の恵みを知らせてくれました
リヴィアベラ神父様生存中の時、わたしの亡き母はよく神父様と文通していました。その後、母の形見の中にチマッティ神父様の写真を見つけ、母に倣い、わたしもチマッティ神父様が神様の元で取り次いでくださるように願うことにしました。
さて、わたしの娘は、大学卒業論文を完成するにあたって大変な困難に出会っていました。チマッティ神父様に願ってみたら、無事に論文を完成し学士号を修得しました。また、娘が同じ状態にあったもう一人の友だちにこのことを話してみたら、その娘も同じように卒業論文を完成することができましたし、二人とも110点という最高点を得たのでした。
次に、なかなか子供に恵まれない二人の女性のために祈ってみました。二人とも子供に恵まれました。そして、3回も流産を体験したもう一人の友だちのためにも祈ってみたら、無事に赤ちゃんを出産することになりました。
なお、わたしの娘が不妊なので、公の制度を通して養子縁組を申し込むことにしました。皆、絶対かなえられない、と言っていましたが、わたしは、チマッティ神父様の取次ぎを願い、希望を捨てませんでした。2002年7月3日、娘が家庭裁判所に呼ばれ、翌日、たった26日の女児を任せられることになったのでした。
これは、奇跡といえないでのしょうが、このことをお知らせするのは、チマッティ神父様が神様の元で必要な恵みを取り次いで下さることをわたしが確信しているからです。すべての恵みのために神様に感謝いたします。 チェチリアより
●窃盗はチマッティ神父を見て断念した
2002年9月、東京練馬区、S.S.
S.N.一家は、ローマへ旅するにあたって、チマッティ神父のお墓を訪れてきた。そして、旅行中守ってくれるように、胸の前に下げる師のカード写真を願った。
3週間後、旅から戻ってきて、すぐに感謝しに来た。ローマのVittorio Veneto 通りで12歳ぐらいの子供から止められて、地図の上に聖ペトロ大聖堂へ行く道を教えてください、と願ってきた、と言う。一家3人は何も疑わないで教えようとしたが、子供は地図の下から財布を取ろうとした。ちょうどそのとき、二人の男が現われて、警察の手帳を見せ、「パスポートを見せなさい」と言った。それを見せたら、次は、カバンの中を開けなさい、と言う。そして、麻薬を探しているような動作をしながら、財布も見たい、と言う。20万円があったが、ユーロは少ししかなかった。その時、かれらは、胸の前に下げていたチマッティ神父のカード写真を見た。そして、互いに目を合わせ、そのまま、何も取らないで去ってしまった。その人たちは、警察ではなく、子供の仲間だったのである。チマッティ神父はわたしたちを助けてくださったと確信している。
●両足の切断を免れた
2002年5月北海道トラピスト修道院A.Y.
A.Y.修道士は、両足の指が黒くなって耐えがたい激痛を感じるようになり、診断の結果、膝まで両足を切らないといけない、と言われた。ちょうどその時、同僚からチマッティ神父に祈るようにと勧められた。さっそく、痛みがいくらかとれて、退院したが、ついに指が化膿してしまったので別な病院に再入院した。そこで、指三本を切ったが、足の切断を免れた。その後、準備された車椅子も拒否し、自分の足で歩けるようになって現在にいたる。
●膵臓がんが治った
2002年1月、東京練馬区S.J.医師
S.J.は、1998年11月頃から下痢、背部痛、倦怠感、体重減少(72s→50kg)が著しく、1999年1月11日の腹部CT及びエコーにより膵臓の頭部に腫瘍が認められ、腹部血管造影により上腸間膜動静脈を巻き込んだ大きな腫瘍があることが分かった。血液検査では、肝臓機能障害が著明で、膵臓がんのマーカーも高い数値であることが明らかになる。告知の前日、1999年1月10日、S.J.は主任司祭と共にチマッティ神父のお墓を訪れ、そこで病者の塗油の秘蹟を受けた。また、日曜日ごとに、教会の信者はミサの中でその快復のために祈りをささげることにした。
治療方法を検討した結果、手術による体力消耗が懸念され、その上効果もあまり期待できないと言われた。それで、抗がん剤だけで治療を行うことにしたが、副作用が強く、3ヶ月でその治療も中止した。
なお、2月に黄だんが出現したため、総胆管にステント(金属の管)を留置した。その際、腫瘍の圧迫が強く、胆管の狭搾がひどく、挿入は困難を極めた。ステントが腫瘍の圧力のためV字型に屈曲するほどだった。この措置により胆道が改善され、黄疸も次第に軽快した。同時に血液所見、腫瘍マーカーも好転し、3月2日退院した。その後、自宅静養を続けながら毎月6日のチマッティ神父記念聖堂でミサに欠かさず参加した。体重も体力も快復し、2001年12月のCTおよび2002年1月のエコーで、膵臓腫瘍は消失したといわれた。現在、保健所の医師として勤めている。
S.J.の場合、がん細胞の確認が行わなわれなかった。ところが、状況から見て、膵臓がんがあったことは確かだといえます。なお、治療らしい治療を行わずに、短期間のうちに消失したことは医学的に説明しにくいことであり、奇跡とは言えないまでも、大きな恵みであるに違いない。
●祖父は無事に保護された
2001年10月、神戸、N.N.
横浜に住んでいるN.N.さんは、突然、チマッティ資料館に祈りを願いにくる。神戸に住んでいる祖父は、最近老人ボケが目立ち、手放せない状態であるが、先日、お姉さんと一緒に駅まで行ったら、ちょっとしたすき間の間、急に姿が見えなくなった、と。三日間も探しているが、見当たらないままである。家族はみな心配している。チマッティ神父に祈ってほしい、と。それで、一緒にチマッティ神父のお墓前に行って、その意向のために祈ってきた。
家に帰って2時間ぐらいしたら、資料館に電話がかかって来た。N.N.であった。「横浜に着いたら、祖父が無事に保護されたという知らせが入った。近くの山の中で、雨にぬられて一人で歩いていたところ、保護された。時間は、ちょうど、わたしたちがチマッティのお墓の前で祈っていた時でした。」と。
●脳出血(視床出血)からの快復
2000年4月27日、東京都杉並区 F.S.
F.S.は4月27日の夕方、東京の会社で宴会後、タクシーに乗ったまま記憶喪失の状態になり、翌日の夜まで行方不明になった。ポケットの領収証を見れば、当日背広を買い(それを紛失した)横浜までも行ったことが分かる。しかし、本人は記憶無し。28日の夕方タクシーに乗ったら、知らずに携帯電話のスイッチを入れたと思われる。それで、鳴ったところ、困っていた運転士は家族に連絡した。帰宅させて、順天堂大学病院に緊急入院させられた。病気発生からもう30時間が経っている。CT検査の結果、脳出血(視床出血)と判明した。出血が止まらなければ、危険な手術が必要となる、といわれた。
29日、家族から主任司祭に通知があり、チマッティ神父に祈ることを勧めた。教会のミサでも祈ることにした。30日午後、記憶が戻り始める。そしてCTの結果、出血が止まったようである。毎日、快復が著しい。
5月6日のCTの結果、出血のの残りも消えた。8日は、3回も食事できる。20日退院した。後遺症はなし。そして、6月1日、会社に復帰して現在にいたる。
●脳腫瘍は完治
1997年11月, Verona
(Italia) Manfre Marco
Marcoの父親は、仕事のため東京滞在中、コンプリ神父と一緒にチマッティ神父のお墓を訪れた。そのとき、34歳の息子Marcoがイタリアで脳腫瘍を診断された連絡が来た。チマッティ神父に祈ってから、そのまま帰国した。息子は、2回も難しい手術を受けたが、1998年6月、結果は芳しくなく、触れられない脳の一部にがん細胞が残っていると分かった。救う方法が見つかるようにとチマッティ神父に祈りながら、父親は渡米し、ついに最新の治療法を手に入れることができた。40日後結果がわかる、と言われた。実際、同年8月17日の検査で効果があると認められた。1999年12月、腫瘍は完全に消えていた。2000年3月、父親は感謝のため、またチマッティ神父のお墓を訪れた。その後。Marcoは元気で過ごしている。
●皮膚がんが治った
1998年10月、上海(中国)、C.Ch.より
1997年4月、左の脹脛に大きな黒い斑点ができた。痛いので、診断してもらった。皮膚がんだと診断され、6月2日に手術することになった。しかし、傷が治らず、化膿したしまった。そのとき、日本の友だちからチマッティ神父に祈るようにと勧められた。信頼をもって祈った。そして、7月半ば頃から炎症が次第に消え、9月に完治した。13ヶ月が経って、香港のシスターを通して報告する。国柄の事情により、これ以上調べることができない。
●クモ膜下脳内出血からの快復
1994年10月10日、東京北区Sr. O.
10日の夜、頭の激痛、嘔吐、呼吸困難、両手の硬直を感じ、緊急入院した。CT検査の結果、クモ膜下脳内出血と診断された。緊急手術を要する。家族は、後遺症の危険性があることを説明され、11日10時、4人の医師が5時間もかけて手術を執行した。経過良好。53日後無事に退院。「何の後遺症もなく、元気に退院できることは神の恵みです」と、医師も看護婦も言ってくれた。入院の間、星美学園のシスターがたは熱心にチマッティ神父に祈った。Sr.Oは、現在、学校現場で元気で働いている。
●重症の脱水状態から完全に快復
1992年8月、宮崎日向学院、コンプリ神父の証言
わたしが日向学院の理事長にになった年の夏休み、中学第2学年と一緒に霧島山に登り、真夏の炎天下で私自身脱落し、登山口で生徒の帰りを待つことにした。11時ごろ救助隊が現われて、生徒一人が倒れた。下ろしに行く、と言う。意識不明だ、という情報もあった。2時間後、降りてきたが、下ろすにはヘリコプターが要る、と言う。そして、1時間経ってから県警のヘリコプターが飛んだ。しかし、医師を下ろすだけで、生徒を吊り上げることができなかった。二発のヘリコプターが必要だが、それは、県知事が自衛隊に頼まないといけない、と言う。結局、生徒が吊り上げられて都城の病院に着くまで、事故から7時間も経った。私が病院へ駆けつけたとき、生徒は重症の脱水状態で完全に意識不明であり、脳波の反応もなく、植物人間のようであった。医者が言うには、助かる可能性は20パーセント。しかも、後遺症が残る危険性は非常に大きい。
そのとき、わたしたちは学校の初代校長であったチマッティ神父に祈った。
結論は、医師の献身的な対応もあり、身体の機能が次第に快復し、10日後生徒は目を開けた。ためらいながらわたしは聞いてみた、「わたしたちの学校の創立者は、だれだったか」。生徒ははっきりした声で答えた、「ヴィンセンツォ・チマッティ校長でした」。10日後、何の後遺症もなくせいとは退院し、元気な姿で学校生活に復帰できた。
●管内唾石が手術なしで治る
1980年9月、京都府加悦町 A.S.
A.S.の長男孝一さん(当時京都大学教育学部、20歳)、唾液が出なくなり、7月7日同大学病院の口腔外科で管内唾石と診断された。7月24日に手術する、と決まった。家族一同は、祖父と面識があったチマッティ神父の助けを祈ることにした。そして、11日の夕食中、石膏のような7ミリぐらいの大円形の唾石が数個自然に口から飛び出し、あとはパッと膿が出た。翌日12日病院で診てもらい、まだ石が残っていると言われて、予定通り手術をすると決まった。24日14時、祈りながら手術室に入り、よだれかけをかけられて手術前の診察を受けた。確かに石が残っていたのに、石がないと3人の医師が真剣に言い出した。「おかしい、石って、できたり、増えたりすることがあっても、あった石が、なくなったり、消滅したりすることはないのに」と首をかしげた。結局、よだれかけを外して、手術をやめた。その後、異常はなし、元気いっぱいで過ごすようになった。
●眼神経炎が治った
1979年3月19日、BANGALORE(India)
サレジアン・シスターズの女子校生徒E.さんは、急に右目が痛くなり、完全に見えなくなった。専門医の診断では脳がんの疑いがある、と言われた。4月20日手術の予定だった。修道院の共同体は皆熱心いチマッティ神父に祈った。手術の当日、再診断の結果、手術を数日延期された。2日後、少し見えるようになったので、数日後、「このままにしておいたほうがよい、という神の望みであろう」と医者は言った。そして、数名の専門医が診断した結果、4月28日元気で退院した。「皆さんの祈りのお陰です」と医者は言っていた。
●チマッティ神父のカード写真の効果
1978年Lanari Giovanni, Gualdo di Narni (Italia)
1977年、建物の解体中、セメントのかけらが目に入った。手で取り出して包帯するが、夜、激しい痛みのため眠れななかった。そのとき、いただいていたチマッティ神父のカード写真を目に当ててみた。即座痛みが消えた。
1978年2月、左の大腿の骨骨折で入院していた10歳の息子Marioを、毎晩病院で看病していた。ある日、仕事中重い丸太を動かして、背骨に激しい痛みを感じた。そのまま息子を看病したが、耐えがたい痛みのため、チマッティ神父に向って、「チマッティ神父様、助けてください」と言って、手元にあったカード写真を背中に当てた。即座、痛みが消えた。
こんどは、「チマッティ神父様、息子Marioのことも頼みます」と言って、カード写真を息子の足に当てた。その時点までどんな小さな動きでもうめいていた子供は、急に静かになり、次のレントゲンのとき、治っていると言われた。チマッティ神父は、わたしの家族の守護者である。
●肺がん、胃がんの手術を乗り越えた
1977年8月、東京目黒区、S.M.
1976年8月17日、東京築地ガンセンターでT.M.師は左肺三分のニを切断した。一ヵ月後、胃の大部分も切断せざるをえなかった。飲み込むことはできず、人工栄養のみの状態。11月5日、最後の検査の前夜、変わった夢を見た。ベットの側、手にロザリオを持っている白い服、長い白い髭の年寄りの方が見えた。その方は、ロザリオを胃の上に置いてくださったら、すぐに目覚めて、胃の障害物が取れたような快い感じを体験した。朝、診断を受け、喉に管を入れてもらうとき、意外に障害はなく管は通った。そして、より長い管も楽に通っていった。その日から次第に食物が通るようになり、11月16日退院した。最初の入院の時から、目黒星美学園のシスターたちはその快復のために熱心にチマッティ神父に祈ってくれたのであった。
ところが、1977年2月25日、溶血性貧血のためまた入院した。神に頼るしかないという気持ちになって治療を受けることにした。そして、快復は著しく、元気な姿で20日後退院できた。担当医は言ってくれた、「これは、薬の効果だけではない」と。1977年8月15日、T.M.師はサレジオ教会で洗礼を受けた。そして、高齢まで、元気な姿で1998年まで長生きできた。