(4) チマッティ神父のアジアの最初の印象

1926年1月26日 シンガポールより
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父、総長へ

親愛なる私のパパ、

まず、コロンボで感じたことを簡単に書きます。(略)世界中どこへ行っても、皆同じ人間です。肌の色、服装、多少とも景色の美しさは変わりますが、アダムの子らとその背負っている重荷はどこでも同じです。ここに来て、(多分彼らはそのことを意識してないでしょうが)一層そのことを強く感じます。それは、キリスト教文明の日差しに少ししか照らされていないからでもありましょう。奴隷そのものの生活です。そのように呼ばなくても、現実にはそうです。私は、嫌悪感を覚え、心がしめつけられる思いで船に戻ってきました。主よ、こんな有様が、一体、いつまで続くのでしょうか。」(略)

私たちの上原専禄先生がラテン語の聖書がほしいと願ってきましたので、ヴァルサリチェでいただいた最新の聖書をプレゼントしました。短い献辞を添えて、聖ペトロの座の記念日にプレゼントしました。とても喜んでくれました。専禄先生は、日本語のレッスンのためにその聖書を使い、いろいろな箇所を日本の標準語に訳してくれています。(現在の日本語訳聖書は文語しかない、と言っています。)イエス様の照らしが彼の上にありますように。(略)

私の報告を付け加えさせていただきます。

1) 健康について 良好です。ちょっとした不調はありましたが、イエス様にそれをお捧げしました。皆の不調の分をわが身に引き受けたいのですが、おそらく、耐えられないから、イエス様は私にお与えにならないのでしょう。
2) 仕事について 時間をよく使っているつもりです。1人だったら、もっと仕事ができると思いますが、共同生活や若い会員の世話のため、共にいることが必要です。
3) 信心業について 規則正しく秘跡を受けるようにしています。なお、これから、共に生活することになるカヴォリ神父を聴罪司祭に選び、とてもためになっています。
4) 誓願と会憲の遵守について 皆に良い手本を示すように努力し、特別なことはありません。もちろん、私は、常に傲慢と感受性をコントロールしないといけません。このためにも、宣教師になることを願いました。私は、会員や神学生、また、ヴァルサリチェ師範学校の学生たちをあまりにも慕っていました。けれども、わが主イエスよ、こんな心を与えてくださったのですから、私はどうすればよいのでしょうか。完全にあなたのものでありたいと願っています! 総長様、良いサレジオ会員になるため、常に支えと助言を必要とする教え子たちのことを思うとき、涙が出るほど感動を覚えます。あまりにも彼らを慕っていたのです! チマッティ神父が与えられなかった良い指導が実現するため、イエス様が私のささいな犠牲を受け入れてくださいますように。
5) 兄弟愛について 皆に対してとても仲良くしている、と思います。

総長様、お願いです。ご遠慮なく、ご忠告、ご意見をおっしゃってください。私の足りないところをお委ねします。それも祝福してください。(略)ただいま、客室で、ベットの元に跪いて書いています。(略)私のために、イエス様とお母様〔マリア〕、また、できれば、ヴァルサリチェのドン・ボスコにもひと言おっしゃってください。〔注.当時、ドン・ボスコのお墓はヴァルサリチェにあった。〕主において、わが良いお父様を抱きます。

あなたのこの惨めな V.チマッティ神父

上原専禄氏の証言(1969年1月19日の録音による)

「チマッティ神父が私にプレゼントしてくださった聖書は、今でもとってあります。そこには献辞として次のように書かれています。『上原専禄先生へ、感謝を込めて、日本の宣教地に派遣された最初のドン・ボスコのサレジオ会員より、フルダ号にて』」
上原専禄氏