(7) 日本との最初の出会い

1926年2月19日 宮崎から
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父、総長へ

甘美なる私のパパ

私たちの希望、仕事、犠牲の場所に着いた私たちは、「神に讃美! 神に感謝!」と叫ばずにはいられませんでした。やっと、宮崎に来ました。話したいことはいっぱいありますが、順序よく、すべてを話すように努めます。

2月6日

上海の会員に挨拶して、また旅につきました。

2月7日

今日、旅の最後の日。私たちは、一緒に過ごしたすばらしい日々を振り返りながら、上陸の準備に大わらわです。

上原先生は、私たちが質問に答えられるように、一番必要な単語を書いて、それらを覚えさせてくれました。さらに、駅まで案内したいと言って、神戸で降りる予定を変更し、親切にも門司で一緒に上陸してくれました。

2月8日朝8時 〔門司港に上陸〕

ついに門司港に入港しました。濃霧が、瞬間的に太陽から照らされるすばらしい景色を遮ったりしますが、まもなく霧が晴れ、うっとりと眺めいる目に、美しく輝く陸が見えてきました。言葉で描くよりも、想像していただいた方がいいでしょう。陽の光りに輝き、雪に覆われてそびえ立つ真っ白な山々、生い茂った木々につつまれた島々、前方には広い湾に面した産業豊かな門司市、幾つもの煙突と、山麓にまでのびている家並みの、壮大な光景が現われてきます。神に感謝! 日本万歳!
でも、急に不安に襲われてきました。「これからはどうなるのでしょうか。もし、出迎えもなく、誰も助けに来てくれないなら...。」

しかし、リナルディ神父様、信じてください。この旅行中ほど、子供のような単純さで、神のみ腕に自分を任せたことはありませんでした。み摂理は、私たちを助けるために大きな奇跡までも行われました。そう考えると、「主よ、そうです。あなたは私をあまりにも甘やかせすぎるのではありませんか。イエス様、あなたの思う通りになさってください」と言わざるをえません。

実際、そんな不安も、束の間でした。私たちを見つけるや、遠くから微笑みながら手をふってくれる、髭の神父が見えました。彼は、まっ先に乗船して、私たちを抱擁してくれました。長崎司教から送られたパリミッションのMartinマルタン神父でした。フルダ号の上で、彼の助けをかりて私たちが入国手続きを済ませるには12時までかかりました。ここの日本人たちの目に入らないものは、一つもありません。税関で乗客たちの持ち物を細かく調べている様子を見ながら頭に浮かんできたのは、私たちが持ち込もうとしている40個のトランクと20個のカバンのことでした。けれども、検査官は、カバン1個ずつを開けさせただけでした。私たちの正直な、陽気な態度や、自分たちの貧しい私物をさらけ出す姿をみて、何も隠そうとしないことが分かったようで、旅の途中で開いてしまったトランク1個の中を調べただけで、すべてが済みました。私たちは、喜びのうちに教会へ向かいました。

ここで、初めて、日本の家に入りました。日本の風習を身に付けなければなりませんので、まず、玄関でヨーロッパの靴を脱ぎ、スリッパを履く大仕事をしなければなりませんでした。神父様は、笑いながら見ていました。助ける人たちも、好奇心で見ていました。続いて、かわいい祭壇の前に導かれて、“テ・デウム”〔感謝の歌〕を歌い、迎えてくれた日本の地を感激の気持ちで接吻しました。次は、聖務日課を唱え、楽しい語らいの後、長崎に向かう23時30分の列車に間に合うように、駅の食堂で夕食をとることにしました。食事は、中身は日本料理、マナーはヨーロッパ風でした。とても美味しかった。マルチン神父は、気を利かせて、たくさんのパンを持ってきてくれました。日本の習慣に従い、サービスはきわめて礼儀正しいものでした。お米で作った酒は欠かせませんでしたが、熱いうちに出され、とても美味しいと思いました...。アルコール分もかなり強いです。
私たちは、荷物がすぐに宮崎に届かないので、全員、司教を喜ばせるために長崎に赴くことにしました。

〔長崎に向かう汽車の中〕

皆に挨拶して、長崎に向かう汽車に乗りました。三等車もわりあいに便利で、暖房がきいており、満員でした。どちらかというと、私たちにとって狭い感じでした。この愛すべき日本人たちは、履き物をぬいで、好んで座席の上に座ります。食事などを済ませると、残ったものを床に落とし、時々係りの人が掃除に回ります。鼻をかむとき、紙のハンカチを使います、そして、気持ちよさそうに眠ります。

汽車は、特急とはいえ、たびたび駅に停まりながら、のろのろと進んでいきます。気分が優れないタンギー神父を除いて、他は皆ぐっすりと眠りました。夜明けになって目を覚ましますと、興味をもって辺りの風景を眺めました。冬でも、日の出ずる国は心を奪われるところです。緑の丘々や山々の間に、大小の川に潤された静寂として小さな渓谷の連続です。いたる所が、松、杉、椿や、花が開こうとしている梅など、ありとあらゆるおい繁った木々で覆われています。あちこちにみえる平地は、すべて見事に耕され、美な面から見ても整然としています。広くはない平野では、米や、麦、野菜などが作られ、どこも、目を休ませる整頓と清潔さがみられます。

あちらこしら、緑の樹木の中に、一軒家や小さな集落が散らばり、こんもりとした茂みの中に寺院や先祖たちの墓が見えます。農家はすべて一階建ての木造で、屋根は藁葺きです。裕福な家は、二階建てになっており、特製の瓦を使っています。セメント建築は(工場をのぞいて)非常にまれです。

汽車は煙を上げながら、森に覆われた尖った火山性の山の坂を昇り、再び心地よい谷間を下り、次々と入れ替わるすばらしい景色の海岸にそって走ります。大小の島々、岩、入江、湾などが次々と現われ、そのほとりには集落、村、町がつづき、昇ってくる太陽の光線を浴びています。

おお、聖フランシスコ・ザベリオと多くの宣教師たちの使徒的活動によって聖とされ、数多くの殉教者の血にうるおされた日本よ! 神は、何と不思議な美しさで装わせてくださったのでしょう!