(8) 長崎での滞在

2月9日〜15日

朝8時半、長崎到着です。パリミッションの世話役、ティリー神父に温かく迎えられ、間もなくカテドラルに着き、コンバーツ司教の客になりました。ごミサの後、司教様は父親のように私たちを迎え、私を抱擁し、私たちがその教区を助けに来たことに対して大きな喜びと感謝を表してくださいました。

長崎 大浦天主堂にて

私たちが教会法に定められている誓いを立てた後、自分の権限にある宣教師へのすべての権能を与えてくださいました。そして、荷物が宮崎に着くまで自分の所に留まるようにしてくださり、その間、長崎の教会を見学させ、自由に司教館の豊富な名図書館を利用し、博学な宣教師ラゲ師〔日本語文語訳新約聖書の訳者〕の指導のもとで日本語や難しい日本の布教についての手ほどきを受けられるようにしてくださいました。こうして、学び、観察しながら、2月15日まで大変有意義な日々を送ることができました。

〔見学した場所〕

1) パスポートのため、イタリア領事館を訪れました。
2) マリア会経営の学校を見てきました。非常に盛んで、700人の生徒がいます。そのうち、50人がキリスト信者です。政府の認可を受けていて、すばらしい資料室があり、コンクリートの立派な建築です。長崎の郊外には、広い敷地の中に養成のための小神学校もあり、生徒数60人ほどいます。
3)

日本26聖人が殉教した丘にも行きました、また、長崎の郊外にある、先祖代々のキリシタンが密集している浦上天主堂を見てきました。ちょうど600人ほどの母親たちが黙想会中でした。

4)

神学校も訪れました。美しい建物は、静かな、良い場所にあり、40人余りの神学生がいます。

5)

日本人のシスターたちが経営する養護施設、また、フランスのシスターたちの寮と修練院も訪問しました。

このように、宣教師たちが手がけているカトリック事業は、盛んで、困難の中にあっても良い実を結び、良い召し出しも期待できることを示しています。日本人は、大変知識欲が旺盛で、開かれた心を持ち、活発です。

では、子供たちや、青少年たちはどうでしょうか。

おお、リナルディ神父様、多い、多い、多いです。あらゆるスポーツ(特にテニス)や運動をこなす者です。長崎の信者の子供たちをご覧になりましたら! いかに信心深く祈り、喜んでミサ仕えをして、両親の手本もあっていかによく歌っていることか。家庭では、親はあまりチヤホヤせず、ある程度厳しく子供たちを教育しています。

長崎付近には6万人ほどのカトリック信者がいます。日本全体の8万人の大部分を占めています。数からいえば、宣教師は少ないです。しかし、方々に分散している信徒を世話するために、老齢にもかかわらず、感嘆するほど1人数倍働いています。

6)

他の重要な名所、国家神道や仏教の寺院も見てきました。

ここの異教徒は、自分たちの寺院や神仏に対してとても深い崇敬の念を抱いています。もし、一部の私たちのカトリック信者が同じ尊敬の念を持っていれば、なんと素晴らしいと思うほどです。

11日、建国記念日で国祭日であり、どこでも旗、行列や学校の遠足でにぎわっていました。人々は、祈る時に鐘つきで神を呼び、礼拝、献金、祈りを捧げます。その行動は非常に真剣です。間違った信仰のことは別にして、すばらしい手本を示しています。

2月16日 〔宮崎への旅〕

ついに荷物が宮崎に届いたという知らせがあったので、私たちは、温かく迎えてくれた巣を立って、生活の現実に向かうために準備にかかりました。司教様が全員や各自に最後の教訓と祝福と励ましの言葉をお与えになった後、私たちは勇気づけられて、宣教の地に向かうことになりましたが、主は、私たちを試してくださいました。グアスキーノ修道士が、数日前から喉の痛みと熱のため、病に倒れてしましまったのでした。そのため、司教様にお願いして、マルジャリア神父を付き添いとして長崎に残すことにしました。

15日13時30分、ティリー神父が駅まで送ってくださり、出発しました。(略)途中で、次々、美しい景色が目に映りましたが、夕方6時、久留米に着き、一旦下車して、パリミッションのRaoultロール神父の教会に寄り、翌日の日中に宮崎に着くため、夜半過ぎまでここで待つことにしました。

夜中1時、一行を起こして、再び出発でした。ところが、再び不意なことが起りました。今度は、リヴィアベラ神父が、急に持病で倒れてしまったのです。そのため、次の汽車に乗せてくれるようにと教会の宣教師にお願いして、私たちだけが出発しました。

途中、乗り換えねばなりませんでしたが、日本人はとても紳士的です。私たちのわずかな言葉でも、すぐに言いたいことを察してくれて、助けるため骨折ってくれます。汽車の車掌たちは、大変親切です。車両のドアを開け、入ってくると、まず深いお辞儀して、『まことにご面倒でございますが、切符を拝見させていただきます』とか、『ただいま、何々駅でございます。お荷物など、お忘れございませんように』と知らせてくれます。

もし、途中で1人の信徒に出会えば、何千人の中でもすぐに見分けがつきます。何のためらいもなく近寄ってきて、両手を膝に当てて丁寧に深いお辞儀します。もし、帽子をかぶっているなら、まずそれを取り、それからお辞儀します。すべて微笑みながら、ごく自然にするのです。これは、大勢の異教徒の中にあって、すばらしい信仰告白です。子供たちの方は、もっと勇気を出します。私たちの前に立って、きれいにお辞儀します。そして、どの挨拶でも、いつもため息しながらお辞儀します。何か良いものを吸っているかような感じがします。(略)