日本の事業が決まる
1923年、ローマの教皇がサレジオ会に日本の宣教地の一部を担当するように願った。それに応えて、1925年、9名の会員(司祭6人、修道士3人)が指名され、チマッティ神父は一行の団長に選ばれた。その年は、ドン・ボスコが1875年に最初の宣教団を南米に派遣した50周年記念に当たっていた。
チマッティ神父は、以前から宣教師になりたいと切に願っていたが、ついにかなえられたのは46歳の時であった。その通知を受けたとき、神の御こころに従う気持ちで快く自分の過去を捨てて、未知の世界へ旅立った。