尊者チマッティ神父の愛徳

チマッティ神父

 チマッティ神父の長い生活は幸せな生活だったのだろうか。彼は神を心から愛し、たくさんの人のために自分を捧げました。 日本に宣教師として派遣されて、日本で過ごした初期の頃には多くの困難にあったが、神の愛と人との尊敬と愛を体験し、彼の絶え間ない穏やかな顔が示していたように、きっと幸せであったことでしょう。
 マタイ福音書(22,34-40)によるとイエスは聖書全体と自分の教えを次のことばでまとめています:「心を尽くし、精神を尽くし、思いをつくして、あなたの神である主を愛しなさい。 これがもっとも重要な第一の掟である。第二も、これと同じように、重要である。隣人を自分のように愛しなさい。律法全体と預言者はこの二つの掟に基づいている」。 チマッティ神父にとって、神と人を愛することとは何だったのでしょうか?
 バチカンの列福・列聖調査の記録に、彼が実践した多くの徳の中で一番たくさん取り上げられているのは「愛徳」と「謙遜」です。 そこからいくつかの考えを取って、チマッティ神父の愛徳についてのお話をしたいのです。
 


  私の生涯の各瞬間をイエスと共に過ごしたいのです

 若い神父であった彼の日記に次のことばが見つかりました。「日に日に、主のみ心と聖母マリアを愛する望みが沸いて来ます。 時々この考えが頭に浮かびます:イエスは人から本当に愛されているのでしょうか」。
 「私の生涯の各瞬間をイエスと共に過ごしたいのです。眠るときにも、心臓の動悸が私たちに代わってイエスのために動くようにしましょう」。
 日本に着任してから4年後、彼がとても親しくしていた二人のサレジオ会員が中国で殺害されたという便りを聞いて、 次のことばを口にしました「ヴェルシリア司教とカラヴァリオ師は本当に幸せ、うらやましい」。
 この言葉は、神の愛のために殉教に会ってもよいという、チマッティ宣教師の覚悟を知らせます。
 チマッティ神父にとって、神への愛とは特に神のみ旨をいつも喜んで受け入れることでありました。彼の話はこれをしばしば、独特な表現で強調していました。 「神を愛するとは神のことばを自分の生活に移すこと、主のことばに吸い込まれて、食い尽くされることです」。チマッティ神父の生涯は86年も続いたのですが、 友達や知り合いと多くの手紙をかわしました。受ける手紙に必ず返事を出す神父でありました。最後の25年間の手紙を読みますと、彼はどんな手紙にも自分のために祈りを願っています。 それは自分の死がイエスへの痛烈な愛の行為となるような願いでありました。


  どんな時にも、だれにでも仕え、人を喜ばせようとする者

 神への愛は隣人への愛を湧き出させるとよく言われます。チマッティ神父は若い時から、とても魅力的で親切な若者であり、彼の同級生によると、 「どんな時にも、だれにでも仕え、人を喜ばせようとする者」でありました。
 トリノ・ヴァルサリチェ学校で46歳まで過ごし、生徒、教授、校長として務めましたが、勉強したり、教えたりするだけでなく、病人と貧しい者の見舞いをよくしていました。 「チマッティ神父は慈愛の王者」「信頼できる父」「皆の友人」と言われていました。ある信者が「チマッティ神父は愛徳の権化で、 完全な方法で主イエスが愛徳について説いたことばを日々の生活で実践した神父」「彼こそ真の神父」であったと言っていました。
 日本でも、人に対する彼の愛は抜きんでていました。人を喜ばせるために音楽を書いたり、オペラを作曲したりするばかりでなく、高齢者になったときにも、 人がやりたがらないこと、皿洗い、掃除などを自然に行っていました。
 有名になった一つの例があります。雨の中で、着物を着た一人の女性が歩きながら下駄の鼻緒を壊してしまい、どうすればよいかと道端で困っていました。 通りかかったチマッティ神父は気がついて近づき、その前に屈みこんで、ポケットから紐を取り出し、下駄を直してからさりげなく修道院に帰りました。 その女性は歩けるようになって自分の家に帰ったが、後で、感謝するためまたその神父の名前を知るために、修道院を訪れたのです。
 だから生存中のチマッティ神父はサレジオ修道会の会員からだけでなく、世界の多く人から愛され、今も尊ばれているのです。 今は天国にいるチマッティ神父に、恵みを願うなら、きっと愛をもって取り次いでくださると私は信じています。

                                                      チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                     2020年6月16日



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