罰に関してはどんな基準に従えばよいか。
先ず、できるだけ罰を用いないこと。しかし、やむを得ない場合は次の注意を守るように。
教育者は先ず慕われるべきである。そをすれば、同じように恐れられるようにもなる。こうなると愛情を示さないことだけでも罰となる。このような罰なら、生徒の内にやる気を起こさせ、勇気を出させ、落胆させることはない。
青少年にとって罰のつもりで与えるものは、なんでも罰になりうる。たとえば、ある生徒に対しては体罰を加えるよりも、冷たい目で見る方がより効果的な罰となる。よくやった時に誉め、だらしない時に戒める。これだけでもすでに賞となり罰となる。
まれな例外を除いて、忠告や罰は公に与えないこと。原則としてプライベートに、友達から離れた所で、しかも最高の賢明と忍耐をもって道理と信仰に基づきながらやるべきである。そうすれば生徒自ら自分の非を認めるようになる。
どうしても避けるべきことは、どんな方法にせよ生徒をたたいたり、苦しい姿勢でひざまずかせたり、耳をひっぱったりするような体罰である。こういう罰は国の法律で禁じられている他に、生徒を怒らせ、また教育者自身を卑しくする。
校長は処罰の規定を含めて、校則がよく知られるようにすべきである。こうすれば生徒は「こういう規則があるのを知らなかった」という弁解ができなくなるであろう。
もし私たちの学校でこの教育法を実行するならば、鞭と体罰を使わずに、大きな教育効果が得られると私は思う。四十年も教育に従事したが、私は一度も罰を用いた覚えがない。そして、もう希望がないと思われた生徒でさえも、神のおかげで私の望みと期待に応えてくれたと言うことができる。
「罰」について一言