ベネディクト16世新教皇と聖骸布

トリノからの聖骸布ニュースで新教皇ベネディクト16世が紹介されました。

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ベネディクト16世

2005年4月19日

皆さんに大きな喜びをお知らせします、
教皇が誕生しました。

聖なるローマ教会の
尊敬すべき枢機卿
ヨゼフ・ラツィンガーです。

お選びになった名は
ベネディクト16世です。

 

ベネディクト16世新教皇は、既に枢機卿時代、何回も聖骸布に関心を示されました。

1998年6月12日、聖骸布が公開された時、ご自分が指導しておられたバチカンの信仰教理聖省の協力者と共にトリノを訪ね、聖骸布をご覧になりました。


2002年の夏、毎年中央イタリアのリミニ市で開かれるCLの「リミニのミーティング」のため「美と苦のイエス」という題でメッセージを送り、その中に次の素晴らしい言葉を述べられました。
「美そのものであられるイエスは、顔を殴られ、唾をかけられ、茨を被せられました。トリノの聖骸布は、感動的にもこのことを物語っています。あらゆる偽りや暴力を超えるこの傷つけられた顔には、極みに至るまでに愛を示されたキリストの優れた美しさが現れています。この美しさを味わえる人だけが、この世界を受け入れるための最高の道が真理であり、偽りではないことを理解できます。偽りものは、人をだますために、自分だけが真理であり、自分以外には何もないと、狡猾な手法を使って見せかけようとします。現代、世界を支配しようとする偽りからわたしたちを解放してくれるのは、十字架にかけられたキリストのイコンだけです。しかし、条件があります。わたしたちがキリストと共に傷つけられることに賛成し、その愛を信じ、自分の外的な美しさを失うことを恐れないということです。」

2005年3月25日、ご病気のヨハネ・パウロ2世に代わってローマのコロセウムで「十字架の道行き」の祈りを指導されたラツインガー枢機卿は、第11留「イエスは十字架に釘付けられる」という場面での黙想の中、次の言葉を述べられました。
「トリノの聖骸布は、どれほどこの処刑が残酷であったかを示しています。イエスは、痛みを和らげるために与えられていた飲み物をいただかず、十字架刑の苦しみを完全な意識でお受けになりました。その全身は傷だらけでした。その時、「わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。」という詩篇の言葉(詩22,7)、また「彼に対してわたしたちは顔を隠し、わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。...彼が担ったのはわたしたちの病、彼が負ったのはわたしたちの痛みであった」というイザヤ(イザヤ53,3)の言葉が実現しました。皆さん、わたしたちが思い上がりや快楽を追いたくなるとき、この痛ましい姿、苦しんでおられる神の子の前に立ち止り、この方に目を留めましょう。わたしたちが守るべき節度、目先だけを追うことの空しさを悟ることができるためです。」

このとおり、教会の指導者となられたベネディクト16世教皇は、聖骸布に対して深い理解や深い信心を抱いておられます。

平成17年4月19日
ガエタノ・コンプリ神父