〔前半の紹介〕
 キリストの遺体を包んだ可能性があるといわれている布聖骸布(せいがいふ)。
イタリア・トリノの聖ヨハネ大聖堂で保管されている幅一・一メートル、長さ四・
三六メートルの亜麻布は、科学者の百年にわたる研究を経てもなお、神秘のベー
ルに包まれている。この一枚の布が、これほど世界的に関心を集めているのは、
イエス・キリストの受難に関係しているものだからである。「この問題を考える
上での研究対象はキリストではなく、あくまで布に包まれた『聖骸布の人』です」
と語るのは、サレジオ修道会のガエタノ・コンプリ神父。日本での聖骸布研究の
第一人者である師に話を聞いた。
〔前半本文〕
 現在、バチカンの所有となっている聖骸布は、トリノの聖ヨハネ大聖堂に保管され、
管理責任はトリノの大司教に任されている。聖骸布は一四五三年以降、フランスの
「シャルニー家」からイタリアの「サヴォイ家」(後のイタリア王朝)の手に渡り、
一九八三年三月十八日、イタリア王国の最後の王、ウンベルト二世の遺言でローマ教
皇に寄贈され、現在に至っている。
 コンプリ神父が聖骸布に出合ったのは、神学生としてトリノで勉強していた約五十
数年前、写真家のG・エンリエ氏の講演を聞いた時のこと。エンリエ氏は一九三一年、
聖骸布の公式写真を撮った人物で、作品は聖骸布の“最高の写真”と称され、現在最
も知られているものである。

 「彼が撮影した等身大の写真を見ながら話を聞き、圧倒されました。聖骸布が、単
なる絵や写真ではなく、キリストを包んだ本物の布であると実感したのです。そして
それまで以上に、キリストのご受難に興味を持つようになったのです」
 「たかが一枚の布に熱中するなんて」との批判も多い中、コンプリ神父は、聖骸布
研究の理由をこう説明する。
 「聖骸布は、信仰上なくてはならないものではありません。これが偽物でも、私た
ちの信仰は何ら変わりません。でも、これが本物なら、キリストのご受難を具体的に
示す貴重な遺産であり、信仰の助けになるものです。だから研究を続ける価値がある
でしょう」
 ●不思議な特徴
 聖書にも、キリストの遺体を包んだ「亜麻布」が登場する。しかしその後、聖骸布
のたどった歴史は、千年以上もの間、不明である。その確実な歴史が始まるのは一三
五〇年代、フランス・リレに現れた時からである。空白の歴史については、さまざま
な証言によって仮説が立てられている。
 現在までに、何度も火災に遭遇している聖骸布は、杉綾織の亜麻で出来ている。亜
麻は、麻よりも上等で柔らかく、杉綾織は、昔は上等で珍しい織り方だった。聖骸布
を見る場合、長い歴史の中で付着してしまった多くの“障害物”を視野から外すこと
が大切である、とコンプリ神父は話す。

 「(1)無数の穴と二本の平行線に見られる火災の跡(2)ひし形の水の染み
(3)布のしわ(4)ろうの跡などを無視して見なければ『聖骸布の人』は見えてき
ません。そこに注意すれば、二本の平行線の間に、一人の人物の表と裏の姿が見えま
す。さらに目を凝らすと、手と足にくぎの跡、胸には刺された跡、体中にむち打ちの
傷、頭と額には刺されたような傷があり、出血が多いことが分かります」
 聖骸布に残された血痕は、一九七八年の科学調査の結果、間違いなく人間の血で、
AB型であることが判明した。 聖骸布の研究の中で、幾つかの不思議な特徴がある
ことが判明した。以下、それらを列挙する。
 (1)一八九八年五月二十五日、写真家のセコンド・ピア氏が初めて聖骸布を写真
に撮り、布に映し出されている姿が、「ネガ」の状態であることを発見した。(「ネ
ガ」を反転させれば、写真と同じ「ポジ」になる)
 (2)姿は「ネガ」であるのに、血痕はそのままの状態で付着している。
 (3)聖骸布の写真の濃淡をコンピューターで分析したところ、画面に立体的映像
が現れた。普通の写真や絵画なら、立体化すれば姿がゆがんでしまう。ところが聖骸
布の場合、姿の濃淡の一点一点は、布と体との間の距離を示しているのだ。
 (4)布の裏側を見ると、血の染みた跡だけで、人物の姿はない。姿は表側に見ら
れるだけで、しかも表面の千分の五、六ミリの厚さしか変色していない。
染料なら、裏側まで染みるはずである。
 ●聖骸布の真偽
 「一九七八年にトリノで聖骸布が公開された時、初めて実物を目にしました。まず
その大きさに圧倒され、象牙色の布に、人物がぼんやりと、茶色っぽく映し出されて
いるため、つかみどころがない感じがしました。ただ、血痕は赤っぽくはっきりと見
えました。こんな色なら、まず描けないというのが印象でした」とコンプリ神父。
 聖骸布がキリストの遺体を包んだものか否かの真偽のほどについては、前述のセコ
ンド・ピア氏の写真撮影以来、百年以上もの間、研究が進められているが、一九八八
年に聖骸布は“受難”に遭う。「炭素14」による「年代測定法」で実験された結果、
聖骸布は「一二六〇年から一三九〇年の間のもの」と判定されたのである。
 「炭素14」は、自然環境中に均等に存在し、生物によって吸収され、その体内に
均等に蓄積される。生物の死後は、新たな「炭素14」は補給されず、体内のその数
値は増加しないだけではなく、次第に減少していく。その減り方で年代を測るのであ
る。
 「正直言ってショックでした。でも、この出来事を境に、なお真剣に科学者は研究
に取り組むことになったのです。その結果、さまざまな疑問や問題が浮かび上がり、
今日では『炭素14』の実験は失敗だったというのが定説です」
 ●最近の研究
 「聖骸布は調査の結果、たくさんの生きているバクテリアが存在し、まだ“死んで”
いないことが判明しました。また、バクテリアが作ったプラスチックのような膜が繊
維の表面に出来ていることも明らかになり、それが『炭素14』の年代測定を狂わせ
た原因の一つだと分かったのです。また、実験を行った科学者の態度についても、他
の多くの科学者と協力するという総合研究を拒否し、秘密情報の流出をはじめ、結果
報告をするだけで、いまだにデータを公開しないなど、多くの問題が指摘されました」
 また聖骸布は、何度も火災に遭っているので、汚染度もひどかった。布製品は汚染
されやすいので、布の年代を測定する場合、「炭素14」は適当な検査方法ではない
と以前から言われていた。
 現在、聖骸布については、多角的な研究が進められている。主なものを紹介する。
 (1)花粉…一九七六年の発表で、聖骸布に四十八種類の花粉が付いていることが
確認された。そのうち十三種類は、死海の塩分の多い土壌にのみ見られる特有のもの
で、他の地域には見られない。また残りの花粉は、トルコ、コンスタンティノポリ、
フランス、イタリアのもので、聖骸布がたどった道のりで付いたと見られている。
 (2)コイン…コンピューターで細部を分析した結果、「聖骸布の右目の部分に
コインの跡があることが分かった」とF・ファイラス氏(博士)が発表した。コイン
は、紀元二九年に作られ、ポンティオ・ピラト総督のコインの特徴を伴った、皇帝の
名の一部が書かれたものであるという。しかし、そのコインの存在について疑問を抱
いている人もいる。
 聖骸布の姿の立体化にについては以前から成功しているが、最近では、日本の工学
博士、竹村伸一氏が「聖骸布人物像の立体化」という論文を出し、「聖骸布の人」の
立体図を完成させただけでなく、その側面図も発表したのである。
 「この問題は、あくまで推測ではなく、歴史と科学の分野で解明していくべきもの。
より多くの人が研究に参加し、総合的な研究で解明されていくことを願っています」
 (次回は三月二十四日付掲載予定です)