聖骸布とは

聖骸布は、英語ではHoly Shroud 、フランス語ではSaint Suaire、 ドイツ語ではHeiliges Grabtuch 、スペイン語ではSanta Sabana、イタリア語ではSanta Sindone (古い文献にはSanto Sudario もある) と呼ばれる。日本語の「聖骸布」という語は、戦前の最初の著書の中に使われたが、 今は定着している。聖書には、イエスの葬り を語るとき、マタイ、マルコ、ルカによる福音書では「Sindon」、 ヨハネによる福音書で は「othonia 」という語が使われるが、日本語訳聖書ではすべて「亜麻布」と訳されてい る。なお、マスコミで時々「聖衣」という語を使うことがあるが、これは不適切である。 同名の映画が示すように、「聖衣」はイエスが生前着ていた衣服を指す。

聖骸布は、4.36×1.10メートルの、「杉綾織」の「亜麻布」 である。布そのものは、 黄色っぽく、麦わら色、象牙色に見える。  「亜麻」は、 「麻」と間違えられることがある。それは「麻」よりも柔らかく、上等な 繊維である。リンネルとも呼ばれる。古代の中近東では肌着としてよく使われ、エジプト ではミイラを巻くためにも使われた。人工繊維が出回る前は、シーツやテーブル掛けにも よく使われたものである。それに対して、「麻」はロープや袋によく使われた。  「杉綾織」は、古代、上等で珍しい織り物であった。聖骸布と同じような亜麻布の杉綾 織はA.D. 130年頃のものがエジプトのアンティノエで見つかった。なお、1971年の国士館 大学の発掘によりB.C. 140年頃の8枚の毛糸の杉綾織がイラクのAl・tar で見つかった。 聖骸布は手織り機で織られ、糸の太さに違いがあり、織り方に所々間違いが見られる。  

布に縫い目がないように見えるが、よく見ると、上方の縁の全部にそって幅8センチほ どの同質の「継ぎあて」がある。最初からあったと思われる。この「継ぎあて」は、右側 は35センチ、左側は15センチほど欠けている。いつ切られたかは不明である。


聖骸布の杉綾織


普通の織物


杉綾織違い

1532年12月3日・4日の夜、 フランスのシャンベリーで発生した火災により、布の一部が焼失した。 現在、 初めてこの布を見る人の目につく黒い二本の平行線と奇妙な模様がそれによるものである。 火災のとき、聖骸布は畳んだ状態で銀製の箱に納められ、聖堂の壁の窪みに保管されていた。 そのとき、箱の金属が加熱され、一つの角が熔け、熔けた金属の数滴が布の上に落ちた。 そのため26箇所に穴が開き、二本の焦げた平行線もできた。  

火災の2年後、聖クララ会のシスターたちは、穴を塞ぐために三 角の白い布を縫い付けた。その「継ぎ当て」の位置と大きさを見れば、私たちは箱の中の 聖骸布が48折に畳んであったことが分かる。

なお、弱った布地全体を強めるために、 シスターたちは、その裏に「オランダ製の白い 布」を縫い付けた。現在もそれが付いたままである。なお、それが布全体に細かく縫い付けられ ているため、外さないかぎり聖骸布の裏面が見られない状態である。 

その他に、 人物の正面と背面の手と腰のあたりには、形が違ういくつかの小さな穴が見 られる。 これらは、1532年の火災以前のコピーにも既に描かれているので、おそらく、炭火か線香かによって 起こされた別な火災による焼け跡であろう。聖骸布の不明の時代を物語るものである。


焼け跡のスケッチ

1532年の火災の折りに、緊急に箱が持ち出され、 そのまま水に入れられたが、一角は水につかなかった。そのため、水に含まれていた不純物が濡れた 境界線に集中し、菱形の染みを起こした。現在、膝、胸、顔と後頭部の間、背中の数箇所と 両縁にそってその染みが見られる。


水の染みが見えるところ


水の染みに鉄分と血と埃が混ざっている

聖骸布は、1532年の火災の前後、畳んだ状態で箱に 納められていた。また、1694年から1998年までは細長い銀製の箱に、棒に巻かれた状態で保存されていた。 そのため多くのしわができ、特に人物の顔の上下のものは目ざわりとなる。古いものを消すことは難しい。  

1998年の一般公開に際して、しわを避けるための方法として、平らな状態に保存することにした。 現在は、そのための新しい容器に納められている。

聖骸布の上に、何箇所にも蝋の跡が見える。それらは、 電気がなかった時代、光源としてろうそくやランプに頼っていた時代の名残である。位置からみて、 布を照らすために5、6本のろうそくが使われいていたことが分かる。無神経な人が吹き消したため、 蝋が布に飛んで付着したのであろう。なお、それが熔けていないことから判断すると、これらの跡が 火災以後のものであると思われる。