(14) 困難が始まる

1926年3月19日 宮崎から
Rinaldi Filippoリナルディ・フィリポ神父へ(前出)

宮崎の聖堂は、聖ヨゼフに捧げられていた。主任司祭との考え方の相違が次第に現われくる。

私の良きパパ、

聖ヨゼフの祝いです! 今日、私の魂は深く感動し、とても甘美な痛みを味わっています。どういうわけか、イエス様のみ前に行くと涙が出るのです。兄弟たちに見られないようにしなければなりませんが、何でしょうか。今のこの状態で思うように聖ヨゼフの祝日を荘厳に祝えなかったことからくるのでしょうか。一応、主任神父が私たちの願いに応じてくれて、できるだけのことをやったつもりですが、見解の相違はどれほど大きいことか!...とにかく、9日間の祈りはなんとかしてできて、信者たちも参加してくれました。日本語でロザリオを一緒に唱え、聖ヨゼフへのラテン語の賛歌「Te Joseph」も歌いました。私はこの機会に、『聖ヨゼフ、われらのために祈りたまえ』という最初の日本語の歌を作曲し、皆それを歌って、喜んでくれました。神に感謝!

今度の日曜日は、荘厳ミサを行ないます。信者たちも、私の小さな友だちも、皆そろって歌います。私は、まだ十分に話ができませんが、彼らはもう遠慮しなくなってきました。

ああ、イエス様、マリア様、宮崎教会の保護者聖ヨゼフ様が、子供たちのかわいい声を聴いてくださいますように! 私が、彼らのため、宣教地のためにお願いすることを聞き入れてください! (略)

ああ、教会の保護者、教皇様の保護者、聖ヨゼフ!
私たちの修道士、職業学校の生徒を思い起こさせてくれえる、聖ヨゼフ! 
私が初ミサを捧げた記念日の聖人、聖ヨゼフ!
宮崎教会と中津教会の保護者、聖ヨゼフ!

もしかしたら、私の涙の原因は心の中に渦巻くこれらの思い、またこの祝日が日本では守るべき祝日に入っていないことにあるのかもしれません。

最近のニュース!

日本語の勉強は、根気よく続けています。神様のお恵みで、うまく行っていると思います。確かに、いろいろな面でこの言葉は難しいです。ヨーロッパの言葉と共通する点がなく、文の構造もまったく独特です。後ろから訳すことになります。それに合わせて、考え方も全部入れ替えないといけないのです。まあ、少しずつ目標に達することができるでしょう。

今度は、ピアチェンツァ神父が病気になりました。日射病にかかったようです。高熱が続いていましたが、今日、聖ヨゼフの祝日に下がりました。神に感謝!

他の会員たちは、みな元気です。日々、総長様、長上の方々、そして皆さんのためにお祈りしています。皆さんも、そうしてくださっていると確信しています。その証拠は、今感じている本物の魂の平和です。自分の人生の中で、今ほど強く感じたことはありませんでした。他の兄弟たちも、皆同じように修道者らしくやっていると思います。神に感謝!

遠くにいるあなたの息子は、心からあなたを抱きしめます。主の内にこの上なく総長様を愛しております。

いつもこの上なく総長様を慕っているあなたの息子 V.チマッティ神父