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【02】戦前のチマッティ神父 (1)
1926年〜1932年

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2008-06-07
No 分類 和暦 西暦 期間  
151 0 大正15年 1926 2 8   門司港入港(マルタン神父が迎える)。翌朝、長崎へ到着(コンバス司教へ挨拶。一行は長崎教区に属する)。一週間滞在し、ラゲ神父が案内役。東京在住ローマ法王庁使節はMario Giardiniマリオ・ジャルディニ大司教
152 0 大正15年 1926 2 17   久留米経由で宮崎到着。パリ・ミッションのボヌカーズ主任司祭が迎える。司祭館二階に泊まる。サレジオ会員として中国管区に属する
153 0 大正15年 1926       一年間、毎日、日本語の勉強に全力を注ぐ
154 2 大正15年 1926 4 1   中国のCanazei神父が訪問
155 0 大正15年 1926 5     マリア様の祝いを準備するため、初めて日本語で説教をする
156 8 大正15年 1926 8 26   長崎の司教ジャン・クロード・コンバスが帰天
157 2 大正15年 1926 10 4   鹿児島で「アシジの聖フランシスコ帰天700年周年」5回コンサート。ピアノとバリトンはチマッティ、テノールTはマルジャリア、テノールUはリビアベッラ神父。使節Giardini大司教も参加、高く評価する。後に宣伝してくれる
158 2 大正15年 1926       この年にオラトリオFILIUS PRODIGUS ラテン語4場を作曲する
159 2 大正15年 1926       尋常小学校の国語読本の31の詩を作曲、子供たちに教える
160 9 昭和元年 1926 12     大正天皇に継いで、昭和天皇ご即位
161              
162 0 昭和2年 1927 2 1   宮崎、大分、中津、三つの教会の責任を負う。
チマッティ神父は宮崎教会主任。カヴォリ神父は助任
163 1 昭和2年 1927 2 20   ピアチェンツァ神父は中津教会主任。リヴィアベラ神父は助任
164 1 昭和2年 1927 3 9   タンギー神父は大分教会主任。マルジャリア神父は助任
165 9 昭和2年 1927 5 24   イタリアから北極を征服したNobileノビレ将軍が宮崎を訪れる
166 0 昭和2年 1927       長崎から田野に移住した信者のために初めてミサをささげる
167 1 昭和2年 1927 6 7   本部のリカルドーネ(Ricaldone)神父副総長、Canazei神父と視察
168 8 昭和2年 1927 7 16   ヤヌアリオ早坂久之助師は長崎司教。最初の邦人司教
長崎教区分割によりサレジオ会は一時福岡教区に所属。福岡司教はThiry師
169 1 昭和2年 1927 8 1   日本のサレジオ事業は中国から分割され、準管区Visitatoriaとなる。準管区長はチマッティ神父
170 2 昭和2年 1927 10 29   コンサートのため奄美大島へ渡る
171 0 昭和2年 1927 12 13   兄ルイジがペルーのPiuraピウーラで帰天。知らせは遅れる
172              
173 2 昭和3年 1928 1 30   「尊者ドン・ボスコ伝」が出る。日本語の最初の伝記である
174 1 昭和3年 1928 3 27   宮崎県と大分県は「独立宣教区」。チマッティ神父は教区長となる
175 1 昭和3年 1928 3 27   田野と高鍋で司牧と宣教活動が始まる
小林、福島、油津、飫肥、山田、小戸津、日野、有光、まさき、末治、山之内、南郷などにも宣教師が定期的に訪れる
176 2 昭和3年 1928 5 1   西宮で聖テレジア『小さき花を讃美する歌』発行。三木露風作詞
177 2 昭和3年 1928 4 25 〜5.18 関東・関西地区でのコンサート
178 1 昭和3年 1928 5 24   大分で機関紙『ドン・ボスコ』創刊。月1000部。これは、1952年に『カトリック生活』となった
179 1 昭和3年 1928       宣教区が「宮崎・大分カトリック宗教社団」として認可される
180 1 昭和3年 1928 6 3   宮崎でカトリック墓地の落成式
181 8 昭和3年 1928 11 1   長崎の早坂司教が宮崎教会を訪れ、コンサートで講演する
182 2 昭和3年 1928 11 10   天皇陛下即位にあたり、「大礼奉祝の歌」を作曲し、教会で歌う
183 3 昭和3年 1928 12 31   司祭 P. Escursel, E. Lucioni, 修道士 C. Macario が来日
               
184 2 昭和4年 1929       『うたえやうたえ!』2冊が大分で印刷される
185 2 昭和4年 1929 3 9   尊者ドン・ボスコ師著「ドメニコ・サヴィオ傳」が出る
186 0 昭和4年 1929 3 25   総会およびドン・ボスコの列福式出席のためにイタリアへ帰国
187 0 昭和4年 1929 5 11   ヴェニス到着。ヴェローナ、ミラノ、トリノ、ファエンツァ、ローマ等イタリア各地を周り、日本を宣伝し、宣教師を募集する
188 1 昭和4年 1929 6 2   ローマでドン・ボスコの列福式
189 1 昭和4年 1929 6 16   田野の聖堂の落成式、海の星と聖テレジアに捧げられる
190 9 昭和4年 1929 9     世界大恐慌始まる。これからの大きな困難の原因となる
191 3 昭和4年 1929 12 14   M..Marega神父、G.Baratto神学生、E.Ragogna修道士が到着。共に扶助者聖母修道女会のシスター6人も来日
192              
193 3 昭和5年 1930 1 29   神学生を連れて日本に戻る(神学生Cl.Tassinari, E.Braggion, A.Bernardi, Cl.Filippa, L.Floran, C.Cagna, A.Zanarini共に来日)。仮住まいは、宮崎の大淀の借家で神学校(哲学課程)が始まる
194 1 昭和5年 1930       このころ、宮崎で聖ヴィンチェンツォ・ア・パウロ会が病人やお年よりの在宅訪問を始める
195 7 昭和5年 1930 2 24   扶助者聖母会の小聖堂祝別式
196 1 昭和5年 1930 2 29   中国でLuigi Versiglia司教、Callisto Caravario司祭が殉教
197 0 昭和5年 1930 3 19   チマッティ神父の司祭叙階銀祝
198 1 昭和5年 1930 4 1   中津教会で小神学校始まる
199 1 昭和5年 1930 4 1   大分教会で「ドン・ボスコ印刷学校」と「ドン・ボスコ社」始まる
200 2 昭和5年 1930 4 22   福者ドン・ボスコを祝い、熊本、大阪などでコンサート。早阪司教公演
201 2 昭和5年 1930 5 30   福者ドン・ボスコを祝い、宮崎、大分などでコンサート。使節Giardini司教参加で戸塚神父が公演
202 2 昭和5年 1930 5 30   『福者ドン・ボスコ伝』出版
203 2 昭和5年 1930 8 22   サレジオ会員Tornquist神父来日。経済的に事業を助けるため
204 2 昭和5年 1930 9 1   ドン・ボスコ社から『合併福音書』が出版される
205 1 昭和5年 1930 9 10 〜9.30 渋谷神父、大分と宮崎で説教一周
206 1 昭和5年 1930 11 4   大淀の神学校が高鍋の元病院に移る。チマッティ神父は院長
207 1 昭和5年 1930 11 4   同じ場所(高鍋)に教会活動が定着。つま、川南、ちゅうすばる、木城、うわえ、都農、富高なども定期的に宣教師が訪れる
208 3 昭和5年 1930 12 15   司祭R.Caro, 神学生L.Dal Fior, G.Bechis, C.Arri, シスター3名が来日
209              
210 8 昭和6年 1931 3 27   エドヴァ−ド・ムーニー(Edward Mooney)大司教がローマ法王庁使節に就任
211 1 昭和6年 1931 5 17   宮崎市内、荘厳な聖体行列が行なわれる
212 7 昭和6年 1931 5 25   別府市内、サレジアン・シスターズが事業を始める
213 7 昭和6年 1931 6 7   宮崎で「明星幼稚園」の落成式
214 1 昭和6年 1931 7 31   『カトリック講話集』始まる
215 0 昭和6年 1931 8 4   鹿児島のフランシスコ会の海の家で神学生の夏休みと黙想会
216 0 昭和6年 1931 8 16   香港とマカオで中国管区のサレジオ会員の黙想会を指導する
217 9 昭和6年 1931 9 8   満州事変が起る
218 0 昭和6年 1931 11 2   宮崎の地震で損害を被る。イタリアでのカトリック・アクションの弾圧を批判したから、イタリア大使から援助を断られる
219 3 昭和6年 1931 11 20   司祭A.Cecchetti, G.Dumeez,神学生 G.Moro, N.Tassan, E.De Kreuyff, M.Lucchesi8名が来日
220 1 昭和6年 1931 12 5   総長リナルディ神父帰天
221 1 昭和6年 1931 12 9   別府教会が始まる。杵築と守江を訪問することになる
222 1 昭和6年 1931 12 9   田野教会の司祭館を完成
223              
224 0 昭和7年 1932 3 31   東京の教区長会議(大司教館宿泊)で、夜、服を盗まれる
225 2 昭和7年 1932 4 13 〜4.21 大阪方面のコンサート。カンドウ神父が講演
226 9 昭和7年 1932 5 5   神社参拝の問題で上智大学での不敬事件
227 1 昭和7年 1932 5 17   リカルドーネ神父、総長に選ばれる
228 8 昭和7年 1932 7 15   田野と別府でも神社参拝のことで教会に対する反対運動が始まる
229 7 昭和7年 1932 12 18   宮崎で救護院一期工事の落成式
230 1 昭和7年 1932 12 19   マルジャリア神父、募金のため米国へ渡る
231              

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