ヴィンチェンツォ・チマッティ神父年譜目次ページに戻る >> 1941年〜1945年

【03】戦時中のチマッティ神父 (1)
1941年〜1945年

Last Update:
2008-06-05
No 分類 和暦 西暦 期間  
346 2 昭和16年 1941 1 3   タシナリ著『殉教者シドッティ』上演。チマッティ神父の作曲あり
347 4 昭和16年 1941 1 31   山口哲郎、恵美漸吉、松尾栄一郎、岩下虎吉、金本三大二等の初誓願
348 8 昭和16年 1941 2 15   フランシスコ出口一太郎教区長が誓いを立てる
349 8 昭和16年 1941 2 23   宮崎教会で新教区長の着任式。チマッティ神父は歓迎の言葉を述べる
350 2 昭和16年 1941 3 2 〜3.21 宮崎・大分方面、テナー島田龍之介と共に多数のコンサート
351 5 昭和16年 1941 3 23   Barbaro神父の叙階式
352 0 昭和16年 1941 3 26   チマッティ神父は東京へ
353 9 昭和16年 1941 3 29   イタリア文化会館の落成式
354 0 昭和16年 1941 4 21   九州に戻る。憲兵18名が交代で傍に座る
355 2 昭和16年 1941 5 10   『支倉六右衛門』作曲完成。Heuversホイヴェルス神父作詞。東北地方でいろいろな場所でのコンサートが行われる
356 8 昭和16年 1941 5 10   日本カトリック教会、新宗教法にもとづいて正式に承認される
357 0 昭和16年 1941 5 23   席を宮崎から東京練馬に移す
358 2 昭和16年 1941 6 6   ドン・ボスコ初ミサ100周年記念。オラトリオ『ドン・ボスコ叙階100周年記念』を作曲し上演する
359 2 昭和16年 1941 6 21 〜6.22 北海道の札幌、小樽でコンサート。江藤俊哉も共に演奏する
360 0 昭和16年 1941 7 2 〜7.10 日光でパウロ会のため黙想会を指導
361 1 昭和16年 1941 7 2   延岡教会、新しい土地と建物へ移転
362 0 昭和16年 1941 7 14 〜8.13 九州の支部を訪問する
363 2 昭和16年 1941 8 14   大阪ラジオ放送局でコンサート・演奏し、東京に戻る
364 2 昭和16年 1941 8 14   『カトリック講話集』8月号にTassinari神父の演劇『最後の宣教師シドッティ』を出版
365 0 昭和16年 1941 10 13 〜11.3 九州の支部を訪問する
366 1 昭和16年 1941 11 22   神学生西村四帰児が徴兵され、フィリピンへ送られる
367 1 昭和16年 1941 11 28   サレジオ会事業開始百周年記念式典に田中幸太郎が講演
368 9 昭和16年 1941 12 8   真珠湾攻撃
369 1 昭和16年 1941 12 8   宮崎小神学校を訪れた出口教区長の不適切な発言。困難始まる
370 1 昭和16年 1941 12 20   Dumeez神父が追放され、チマッティ神父は三河島教会主任に
371 2 昭和16年 1941       この年、最初の『日本語の歌ミサ』が印刷される
372 2 昭和16年 1941 12 20   『宮崎県動物自然分類一覧表』出版
373 2 昭和16年 1941 12 20   オペレッタ”IL RITORNO DELL’AMBASCIATA”1幕を作曲
374              
375 8 昭和17年 1942 2 8 〜2.18 東京教区長会議の決定によりいろいろな困難な状況が生ずる
376 5 昭和17年 1942 3 21   Broccardo, Margevicius, Martelli Arc., Roncato, Dalkmann, Lorenziが叙階される
377 4 昭和17年 1942 4 14   本田善一郎、甲斐成大、西田隆、ヤスハラ・アントニオの初誓願、
378 0 昭和17年 1942 5 5   マリア・マザレロの祝い準備九日間の黙想完成
379 0 昭和17年 1942 6 24   宮崎を訪問し、7月2日出口教区長と話し合う
380 0 昭和17年 1942 7 8   東京に戻る
381 0 昭和17年 1942 10 18   九州を訪れる
382 2 昭和17年 1942 10 24 〜10.26 鹿児島で鉄砲伝来400周年を記念し、『鉄砲の唄』を作曲・演奏
383 2 昭和17年 1942 10 25   宮崎で「天正遣欧使節360年記念」式典に自作の歌を演奏
384 0 昭和17年 1942 10 28   東京に戻る
385 1 昭和17年 1942 12 2   サレジオ会日本管区、社団法人として認可される
386 2 昭和17年 1942 12 20   オペレッタ”BUSTASEIDE”作曲
387 2 昭和17年 1942 12 20   福岡と小倉でコンサート
388              
389 1 昭和18年 1943 3 3   出口教区長、宮崎支部を修道院として認める
390 6 昭和18年 1943 3 8   戸村正一志願者が東京で死去。個人的に誓願を立てる
391 5 昭和18年 1943 3 20   Lopez, Gallo, Mantegazza,Manhardが叙階される
392 6 昭和18年 1943 4 13   立石此吉修道士が熊本で死去
393 1 昭和18年 1943 5 9   リヴィアベラ神父、大連へ。マカリオ修道士も6月9日に出発
394 1 昭和18年 1943 6 3   タシナリ神父、許可を得てキアラ神父の墓石を雑が谷から神学校へ移す。(1950年調布の神学校へ移された)
395 9 昭和18年 1943 9 8   イタリア敗戦
396 0 昭和18年 1943 9 9   イタリア人宣教師監禁される。チマッティ神父は三河島教会で監禁される
397 2 昭和18年 1943 9 9   三河島教会で監禁された時、ドン・ボスコと聖フランシスコ・サレジオに基づく毎日の黙想「Meditazioni per tutti i giorni e feste dell’anno」の執筆を開始する
398 0 昭和18年 1943 10 19   日本に対する忠誠の誓を要求される
399 0 昭和18年 1943 10 21   監禁解かれるが、マルジャリア神父は終戦まで名古屋で拘束
400 2 昭和18年 1943 10 21   アッリ神父、別府で帰天。チマッティ神父参加できず、その伝記を書く
401 6 昭和18年 1943 11 1   甲斐成大哲学生がニューギニアで戦死
402 1 昭和18年 1943 11 1   機関紙『ドン・ボスコ』や『カトリック講話集』の出版が停止される
403 0 昭和18年 1943 11 25   宮崎県、小神学校の建物使用を願う
404 1 昭和18年 1943 12 24   出口教区長の命令により小神学校が閉鎖される
405 1 昭和18年 1943 12 25   宮崎支部の司祭会員、教区長から一年間聖職停止の命令を受ける
406              
407 1 昭和19年 1944 1 31   宮崎の志願者、東京練馬区の新しい志願院に移る
408 0 昭和19年 1944 2 3   チマッティ神父、宮崎を訪問する
409 5 昭和19年 1944 3 25   最初のサレジオ会邦人司祭秋元保夫,、Martelli C., Manganelliが叙階
410 4 昭和19年 1944 3 26   安倍英雄、金子賢之助、山頭源太郎、時任文雄、池田貞夫、赤波江博等の初誓願
411 1 昭和19年 1944 3 26   大神学校の被爆により、神学の授業が練馬サレジオ神学校で行なわれる。サレジオ 神学校が誕生し、Tassinari神父が院長になる
412 1 昭和19年 1944 4 15   Bovio神父、Flaujac神父のベトレヘム農場を試しに引き受ける
413 0 昭和19年 1944 4 19   全国教区長会議でチマッティ神父は宮崎小神学校の実績を発表する
414 1 昭和19年 1944 5     Secchi神学生、チマッティ神父のため二人乗り自転車を製作
415 1 昭和19年 1944 6 7   Martelli Archimede神父は大連へ赴く
416 1 昭和19年 1944 6 7   宮崎小神学校の一部を宮崎県に借用する。一部修道院が使う
417 2 昭和19年 1944 6 16   御心の祝日にオペレッタ“IL MESSAGGERO”を上演
418 0 昭和19年 1944 9 15   チマッティ神父、三河島教会主任を止め、練馬の神学校に移る
419 1 昭和19年 1944 9 24   三河島教会のお別れ。Tassan 神父が主任司祭に
420 6 昭和19年 1944 11 1   牧政治神学生、フィリピンで戦死
421 2 昭和19年 1944 11 10   タシナリ院長の祝いにオラトリオ“PASTOR BONUS” 1幕上演
422 2 昭和19年 1944 11 10   “MEDITAIONI PER TUTTO L”ANNO” 一年間の黙想を紹介する
423 9 昭和19年 1944 11 24   東京空襲始まる。練馬の神学校の森に防空豪を掘る
424 0 昭和19年 1944 12 8   チマッティ神父、皆の無事を願って無原罪聖母の祝日に聖堂建立を約束
425 2 昭和19年 1944 12 8   紀元2600年のソナタ『国の肇を讃えて』を『マリア様への歌』として書き直す
426              
427 0 昭和20年 1945 1 8   疎開の場所を求めて山中湖を訪れる
428 0 昭和20年 1945 1 10   野尻湖で場所の可能性が浮かんでくる
429 6 昭和20年 1945 2 15   西村四帰児神学生がマニラで死亡
430 7 昭和20年 1945 3 5   三河島のサレジアン・シスターズの幼稚園が被爆し全壊
431 2 昭和20年 1945 3 10   東京大空襲。1年後、その題の歌を作曲する
432 6 昭和20年 1945 3 12   吉田耕一神学生ビルマで戦死
433 0 昭和20年 1945 3 26   山中湖でシスターズを訪れる
434 8 昭和20年 1945 4 1   憲兵は宮崎教会の施設を没収する
435 1 昭和20年 1945 4 14   野尻湖の施設購入契約が成立
436 1 昭和20年 1945 4 23   神学生第一グループ、野尻湖へ疎開
437 1 昭和20年 1945 4 27   第二グループが野尻湖へ
438 1 昭和20年 1945 5 6   第三グループが疎開。チマッティ神父は東京に残る
439 0 昭和20年 1945 6 23   姉シスター・ラファエラ・チマッティ帰天。知らせは1年後届く
440 0 昭和20年 1945 6 23 〜6.26 野尻湖の会員を訪問する
441 1 昭和20年 1945 7 14   九州の宣教師たち、栃の木温泉(阿蘇山)へ監禁
442 9 昭和20年 1945 8 6   広島に原爆投下
443 9 昭和20年 1945 8 9   長崎に原爆投下
444 1 昭和20年 1945 8 9   東京で黙想会が始まる
445 6 昭和20年 1945 8 10   ベトナムでDupont Francois神父が帰天。共産主義者より虐殺
446 9 昭和20年 1945 8 15   終戦(聖母被昇天祝日)
447 1 昭和20年 1945 8 24   マルジャリア神父、釈放されて野尻湖で姿を現す
448 0 昭和20年 1945 9 4 〜9.10 野尻湖で黙想会を指導する
449 0 昭和20年 1945 9 22   戦後初めて、宮崎・大分宣教地を訪問し、悲惨な状態を確認する  − 宮崎の小神学校は爆破と台風によりほとんど全壊  − 救護院も甚大な被害  − 都城の教会は全壊  − 延岡教会は全壊  − 大分教会は全壊  − 中津の司祭館は被害  − 別府教会のみそのまま残った  − 宣教師はみな無事。神に感謝 !
450 0 昭和20年 1945 10 26   神学生の疎開終了のため野尻湖を訪れる
451 0 昭和20年 1945 10 30   山中湖のシスターズを訪れる
452 1 昭和20年 1945 11     休刊中の『ドン・ボスコ』は『からしだね』の名で復活する
453 0 昭和20年 1945 11 7 〜11.17 宮崎を訪問し、福岡の深堀司教を訪れる
454 0 昭和20年 1945 11 28 〜11.30 全国教区長会議に参加する
455 8 昭和20年 1945 12 5   福岡のドミニコ深堀仙右衛門司教は宮崎の教区長代行を兼ねる
456 2 昭和20年 1945 12 8   終戦感謝として「RESPICE STELLAM, VOCA MARIAM」を作曲
457 5 昭和20年 1945 12 22   Perego, Rossi, Crevacore, Caldiroli, Scrazzolo, Moriggiaが叙階
458 2 昭和20年 1945 12 22   オペレッタLAZZARIGLIOを上演
459 0 昭和20年 1945 12 26   九州へ向かう
460              

| ↑このページの先頭へ |

ヴィンチェンツォ・チマッティ神父年譜目次ページに戻る >> 1941年〜1945年