| SAVINI番号 | 音楽様式 | 作曲年 | 作品名 | 作詞者 | 声の編成 | 冒頭歌詞 | 備考 |
| 701 | 日本を歌う Canto sul Giappone | 1943年 | 『ふるさとはるばる』 CORO DEI PELLEGRINI オペレッタLA CROCE SUL COLLEから | C.Tassinari | 混声4部合唱とピアノ | ふるさとはるばる | La Croce sul colle というオペレッタに含まれている歌 |
| 702 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『うちの子ねこ』 IL GATTINO DI CASA MIA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | うちのこねこはかわいいこねこ | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 703 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『しいの実とかしの木』 LA GHIANDA E LA QUERCIA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | おもうぞんぶんはびこったやまのふもとの | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 704 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1935年頃 | 『白ゆり』 IL BIANCO GIGLIO | 一声 | ひるひのなみのつゆをおび | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 705 | 校歌 Inno scolastico | 1956年頃 | 『よろこび』 サレジオ学園10周年 LA GIOIA 10mo anniversario dell'Orfanotrofio Salesiano | 一声とピアノ | みどりのもりのしろいとうとあざみ | 小平サレジオ学園10周年のため | |
| 706 | 主の歌 Canto al Signore | 1942年頃 | 『いとたかきところ主のさかえ』 GLORIA AL SIGNORE (DONACI LA PACE) | バリトンとソプラノソロとオルガン | いとたかきところ | 栄唱の言葉である。自筆の第一節はひらがなで書いてあるのは、憲兵の検閲のためだと思われる | |
| 707 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『だいにっぽん』 (T) IL GRANDE GIAPPONE | 小学校教科書 | 一声 | だいにっぽんだいにっぽん | 来日はじめ頃の作曲。尋常小学校の第五の本から、と書いてある |
| 708 | 30 | 欠番 | |||||
| 709 | 聖書の言葉 Parole della Scrittura | 1935年頃 | 『はじめに光あれと』 ALL'INIZIO SIA LA LUCE | 創世記1.3 | 一声とオルガン | はじめにひかりあれと | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した |
| 710 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1926年3月 | 『ごらんなさいありの目』 GUARDA L'OCCHIO DELLA FORMICA | 一声とピアノ | ごらんなさいありのめをなんときれいな | この歌は、子供のための最初の歌の一つである。ピエモンテ方便の「Che bel buchin ca la 'l furmigin」の日本語訳である | |
| 711 | 音楽劇 Operetta | 1942年5月 | 『ジャガタラ・富士山を見て』 GUARDANDO IL M. FUJI(712番、727番、734番、745番と合わせる) | Heuvers | テノール・ソロとピアノ | あめつちのわかれしとき | 東京から、当時、富士山がよく見えていた。原本が残っている |
| 712 | 音楽劇 Operetta | 1942年5月21日 | 『ジャガタラ・星を仰ぎて』 GUARDANDO LE STELLE(711番、727番、734番、745番と合わせる) | Heuvers | 3部合唱とピアノ | くろびろーどのおおぞらに | 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた |
| 713 | 日本を歌う Canto sul Giappone | 1942年10月31日 | 『勇士たちよ力強く進め』 (戦場に赴く歌) GUERRIERO VA AVANTI INTREPIDO | 一声とピアノ | きょうよりはかぎりなくて | カタカナで書いた原文がある。神学生が徴兵された時の見送りの歌 | |
| 714 | たのしい歌 Canti allegri | 1947年頃 | 『ふたつの椅子をならべた』 HO ALLINEATO DUE SEDIE | 一声とピアノ | ふたつのいすをならべたが | 自筆から見て、戦後のものと思われる | |
| 715 | 子供の歌・童謡 Canto per bambini | 1956年頃 | 『母をたずねて』 IN CERCA DELLA MAMMA | 大森平夫 | 一声 | ははをたずねてはるばると | 目黒星美学園のために作ったようである |
| 716 | 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo | 1934年10月 | 『フシュンの青年の歌』 INNO DEI GIOVANI DI FUSHUN (MANCIURIA) | 一声とピアノ | たんとうふしゅんにおいたちし | 旧満州に招かれていくつものコンサートをやったとき | |
| 717 | 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo | 1932年1月29日 | 『高鍋の歌』 INNO DELLA CITTA' DI TAKANABE | 一声 | きみしるや | 高鍋の神学校時代のもの | |
| 718 | 校歌 Inno scolastico | 1955年頃 | 『明星学園校歌』 INNO PER LA SCUOLA MYOJO DI BEPPU | シスター岩本 | 一声 | つるみがみねのさくらばなに | サレジアン・シスターズの学校のため |
| 719 | 校歌 Inno scolastico | 1949年5月21日東京 | 『中津ドン・ボスコ学園の歌』 (養成院) INNO DI NAKATSU ORFANOTROFIO | 一声とピアノ | はるはさくらのおおさだをしたにながむる | 大貞公園に移った養護施設の歌 | |
| 720 | 校歌 Inno scolastico | 1950年1月15日 | 『大貞学園の歌』 INNO OSADA KOEN DON BOSCO GAKUEN | 一声 | みなみのくにのおかのうえ | ドン・ボスコ学園の校歌 | |
| 721 | 校歌 Inno scolastico | 1934年 | 『都城の学校の歌』 INNO PER LA SCUOLA DI MIYAKONOJO | 一声とピアノ | あおげばたかき | この頃、都城で何回もコンサートを開催した | |
| 722 | 校歌 Inno scolastico | 1946年 | 『日向学院の歌』 INNO DELLA SCUOLA HYUGA GAKUIN | 赤波江愛次郎 | 一声とピアノ | あけゆくくにと | 戦後、宮崎の小神学校の敷地に「日向学院」が設立され、チマッティ神父はその初代校長となり、校歌を作曲した |
| 723 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1949年頃 | 『砧』(キヌタ)』 KINUTA - LA MAZZA DI LEGNO | 一声とピアノ | きぬたおとせば | 日本の短い詩を作曲している。宮崎の教区長、小神学校の院長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 724 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『からまつ』 記念の木 IL LARICE L'albero commemorativo | 一声とピアノ | むらのがっこうのげんかんの | 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの | |
| 725 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1926年 | 『ひめ松、小松』 CANZONE DEI PINI | 一声 | ひめまつこまつ、みどりをひろませはるごとに | 自筆がある。来日のときAmerio神学生に贈ったものである。裏面に「さくら」が書いてある | |
| 726 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『デンデンムシ』 LA LUMACA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | でんでんむしかたつむりかたつむり | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 727 | 音楽劇 Operetta | 1942年5月21日 | 『ジャガタラ・ジャガタラの月』 LA LUNA DI JAGATARA(711番、712番、734番、745番と合わせる) | Heuvers | カンタータ テノールソロとピアノ | ほしはみだれとぶ | 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた |
| 728 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1953年1月21日 | 『ながき秋の日』 LUNGO GIORNO D'AUTUNNO | 石元博 | 一声とピアノ | ながきあきのひ | 当時 作詞者は神学生だった |
| 729 | たのしい歌 Canti allegri | 1948年頃 | 『奥さん』 LA MOGLIE FELICE | コントラルト・ソロとピアノ | ぐっともーにんぐ もーにんぐ | 帰国後、アメリカ周りで日本に戻った時に作曲したと思われる | |
| 730 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1949年12月8日東京 | 『母よ、共に終りの日まで』 MAMMA, INSIEME FINO ALL'ULTIMO GIORNO | 一声とピアノ | きびしきさむさおそえでも | 管区長職を退いてからの歌 | |
| 731 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1942年頃 | 『ケキョ、ケキョ』 IL VERSO DELL'USIGNOLO | 一声とピアノ | ケキョ、ケホ、はばたく | カタカナで書いた原文がある。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたからである。オペレッタの一部と思われる | |
| 732 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『わたくしのうち』 LA MIA CASA | 小学校教科書 | 一声 | もえるきのめにはるかぜふけば | 来日の時の教科書の歌詞と思われる |
| 733 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『富士の山』 IL MONTE FUJI | 小学校教科書 | テノール・ソロとピアノ | あたまをくものうえにだし | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 734 | 音楽劇 Operetta | 1942年12月5日 | 『ジャガタラ・奈良の都』 NARA SPLENDIDA CITTA' (711番、712番、727、745番と合わせる) | Heuvers | テノール・ソロとピアノ | あおによしならのみやこは | カタカナで書いた原文がある。三河島教会で憲兵に監視されていたためである |
| 735 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1949年6月21日宮崎 | 『山のあなたの空』 NEL CIELO DELLA TUA MONNTAGNA | 一声とピアノ | やまのあなたのそらとおく | 日向学院校長職を退いた後 | |
| 736 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『雪』 LA NEVE | 小学校教科書 | 一声とピアノ | ふるふるゆきがまっしろなゆきが | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 737 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『雪どけ道』 LA NEVE SI SCIOGLIE NELLA STRADA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | ゆきどけみちのぬかるみを | 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの |
| 738 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『ねんねんころりよ』 (T) NINNA NANNA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | ねんねんころりよおころりよ | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 739 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『ねんねんころりよ』 (U) NINNA NANNA I. Savini編曲 | 小学校教科書 | ソプラノ・ソロとピアノ | ねんねんころりよ | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 740 | 子供の歌・童謡 Canto per bambini | 1935年頃 | 『ねんねんころりよ』 (V) LENTO DI NINNA NANNA 未完成 | 未完成 | かるいこくきのことりのもりに | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した はじめの歌詞だけが書いてある | |
| 741 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1928年 | 『万歳、万歳』 VIVA VIVA, PADRE VILLION ビリオン神父のため | 一声 | ばんざい! ばんざい! ビリオンしんぷ | パリ・ミッションのVillion Amatus神父85歳の祝いに。当時京都にいた。この番号にあった曲は、オペレッタ『支倉六衛門』に属するものだと思われる | |
| 742 | 日本を歌う Canto sul Giappone | 1942年以降 | 『わが国の兵士』 I NOSTRI SOLDATI | 一声とピアノ | わがくにのへいしのゆうきをみよう | 原文の字が直筆ではない。戦時中の歌。懲役された神学生を送るためであろう | |
| 743 | たのしい歌 Canti allegri | 1937年 | 『わしらのおやじ』 IL NOSTRO PAPA' | 2部合唱 | わしらのぼんおやじよ | 宮崎小神学校で歌ったと思われる。原文はない | |
| 744 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『冬の夜』 NOTTE D'INVERNO | 小学校教科書 | 一声 | ともしびちかくきぬぬるははは | 日本の短い詩を作曲している |
| 745 | 音楽劇 Operetta | 1942年5月20日 | 『ジャガタラ・ジャガタラの娘』 O FIGLIA DI JAGATARA(711番、712番、727番と合わせる) | Heuvers | ソプラノ・ソロとピアノ | あはれじゃがたらおとめごは | 『ジャガタラ』のオペレッタの一部。インドネシアのジャカルタに追放されたキリシタンの娘たちを歌う。三河島教会の主任司祭時代に憲兵に監視されていたため、カタカナで書いた |
| 746 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1935年前後? | 『あさごとに』 OGNI MATTINA | 一声とピアノ | あさごとにむこうかがみのくもりなく | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 747 | 音楽劇 Operetta | 1942年 | 『ジャガタラ』 JAGATARA 新しいオペレッタ 711番、712番、725番、727番、734番、745番からなっている | Heuvers | 1942年7月総会長の手紙の中に「ただいま、この時代に合ったオペレッタ・ジャガタラを準備しています」と書いてある。ジャガタラとは、キリシタンが追放された現在のジャカルタのこと。ここに揚げている局はこのオペレッタに属すると思われる。Librettoはない | ||
| 748 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1928年頃 | 『とうときひかり 日暮れ』 O SANTA LUCE Il tramonto del sole | ソロと二部合唱 | のはさとはたそがれふじ | 歌詞の出展は不明 | |
| 749 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1949年頃 | 『なつかしの夕べ』 O SERA INDIMENTICABILE Serenata | セレナーデ 一声とピアノ | おかにゆうひのしずむころ | 宮崎の教区長、神学校の院長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 750 | 日本を歌う Canto sul Giappone | 1942年 | 『日の出の国』 Il paese del sol levante N 23『支倉六衛門』HASEKURA に属する | 一声とピアノ | ひのでのくにに にほんのおさむらい | カタカナで書いた。戦時中、三河島教会の主任司祭だったとき。オペレッタの一部と思われる | |
| 751 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『遠足の歌』 鳴くひばり PASSEGGIATA Cinguetta l'allodola 673参照 | 小学校教科書 | 一声とピアノ | なくはひばりのこえ | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 752 | 日本を歌う Canto sul Giappone | 1942年 | 『天正の御代にローマに遣わされた使者を偲ぶ』 LA PRIMA AMBASCIATA A ROMA | 木下杢太郎 | カンタータ 複数のためとピアノ | かぎりもしらぬわだつみのふところに | 天正使節団のことを歌っている。1942年10月25日はじめて宮崎小神学校でで上演された。1949年印刷Sれた |
| 753 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1935年頃 | 『この日この空』 QUESTO SOLE, QUESTO CIELO | 一声とピアノ | このひこのそらこのひかり | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 754 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1949年12月9日大阪 | 『思い出』 RICORDO | 一声とピアノ | ゆきどけつとめのたきみずは | 大阪星光学院の落成に際して作曲されたものである | |
| 755 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1949年頃 | 『あこがれて』 RIMPIANTO | 一声とピアノ | あこがれてきみとたどれば | 管区長職などを退いたときの気持ちを歌うと思われる | |
| 756 | 子供の歌・童謡 Canto per bambini | 1935年前後? | 『サンタクロース』 SANTA CLAUS BABBO NATALE | 一声とピアノ | きけおきけよあれにひびくかねのこえ | 子供たちのためのクリスマスの歌 | |
| 757 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1949年頃 | 『清き恋』(きよきこい) SANTO AMORE | 一声とピアノ | かえりゆくきみのせにしらゆきよ | 日本の短い詩を作曲している | |
| 758 | 校歌 Inno scolastico | 1935年9月29日 | 『宮崎救護院の歌』 CANTO DELL'ORFANOTROFIO DI MIAZAKI | 甲斐愛子 | 一声とピアノ | うきよのたびに | 宮崎の救護院の落成式のため |
| 759 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『サルとカニ』 LA SCIMMIA E IL GRANCHIO | 小学校教科書 | 一声とピアノ | さるとかにとがあそぶとき | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲したもの |
| 760 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『むぎまき』 LA SEMINA | 小学校教科書 | 一声とピアノ | ならやくぬぎのははきにそまり | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲した |
| 761 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『我は海の子』 NOI SIAM FIGLI DEL MARE | 小学校教科書 | 一声とピアノ | われはうみのこしらなみの | 尋常小学校の教科書の詩を作曲したもの |
| 762 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1938年頃 | 『幸あれマエストロ』 SII FELICE MAESTRO | 一声とピアノ | さちあれまえすとろもろびとは | Bovio神父は修練長=Maestroとなって、その霊名Felice=幸いのために歌われた。しかし、より古い作曲であった | |
| 763 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1933年 | 『真珠の夢』 IL SOGNO DELLE PERLE | 松岡誠人 | 一声とピアノ | しんじゅのゆめはあおいゆめ | 『声』誌1933年10月号に載った歌 |
| 764 | 子供のための聖歌 Lode sacra per bambini | 1935年 | 『日がくれた』 (夜の祈り) IL SOLE E' TRAMONTATO | 一声とピアノ | ひがくれたひがくれたおねんねしましょう | 宮崎の教区長になって、田野、都城、高鍋の教会を担当しながら作曲した | |
| 765 | 校歌 Inno scolastico | 1948年12月8日 | 『おひさまわらう』 (東京サレジオ学園の歌) IL SOLE SORRIDE, BUON GIORNO | 恵美漸吉 | 一声 | おひさまわらうおはようと | 国分寺サレジオ学園の落成式にために作曲された |
| 766 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1941年頃 | 『大空に照り映ゆる』 SPLENDE NEL FIRMAMENTO | Cl.Tassinari | 一声 | あまぞらにてりはゆる | タシナリ神父著演劇『チカトラ』のために作曲した。チマッティ神父は古いギターでその伴奏を弾いた |
| 767 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1932年 | 『うなばらはそらといだけり』 LA SUPERFICIE DEL MARE TOCCA IL CIELO | テノールソロとピアノ | うなばらはそらといだけりそのはてに | 自筆からこの時代のものと判断する | |
| 768 | 校歌 Inno scolastico | 1953年 | 『東京サレジオ学園園歌』 TRA I CAMPI DI MUSASHINO | 山口哲郎 | 一声とピアノ | むさしののべのみどりに | 国分寺サレジオ学園のため |
| 769 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年 | 『ゆうやけこやけ』 TRAMONTO | 小学校教科書 | 2部合唱とピアノ | ゆうやけこやけあしたてんきになれ | 来日して日本語を勉強していたとき、尋常小学校の教科書の詩を子供たちのために作曲した |
| 770 | 30 | 欠番 | |||||
| 771 | カンタータ Cantata | 1944年12月8日 | 『たたえよ母』 TRITTICO MARIANO | Luigi Del Col | 3楽章からなるカンタータ | めでたしやあめのきさきよ | N.784『国の肇を讃たえて』のピアノソナータで神話を作曲したことを批判する人がいたので、それをマリアの歌に編曲した |
| 772 | 子供の歌・童謡 Canto per bambini | 1926年 | 『馬太郎』 UMATARO | 一声 | そらがすむようなやまおくに | 来日の時の教科書の歌詞と思われる | |
| 773 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1927年頃 | 『青空を白雲わたる』 UNA BIANCA NUVOLA SOLCA IL CIELO AZZURRO | 一声 | あおぞらしろくもわたる | 来日したはじめごろ作曲したと思われる | |
| 774 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1926年 | 『うぐいす』 L'USIGNOLO | バイオリンでも弾けると | 歌詞無し | うぐいすの鳴き声を真似する | |
| 775 | たのしい歌 Canti allegri | 1948年頃 | 『ニューヨークの花売り娘』 LA VENDITRICE DI FIORI DI NEW YORK | ソプラノ・ソロとピアノ | しゃんでりあのしたにさしてあるわたしのうた | 戦後帰国した時アメリカ経由だったので、このような課題があると思われる | |
| 776 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1932年 | 『のきばをたたくあまだれのかぜ』 IL VENTO CHE BATTE ALLA GRONDAIA | 同声3部合唱とピアノ | のきばをたたくあまだれのかぜもつめたく | 高鍋の神学校時代のものと思われる | |
| 777 | 尋常小学校教科書 Testo scuola elementare | 1926年頃 | 『松風』 初夏の夜 IL VENTO DEL PINO | 一声とピアノ | なわてづたいにくるかぜも | 来日した頃のものと思われる。原文のコピーは見当たらない | |
| 778 | 舟歌 Barcarola | 1949年頃 | 『そよふく風』 (船歌) IL VENTO SOFFIA LEGGERO 449イタリア語 | 同声3部合唱 | そよふくかぜかくうとう | 戦後イタリアからアメリカ経由で帰国した後の作曲と思われる。美しい歌である 449番イタリア語 | |
| 779 | 町や団体の歌 Inno per citta`o gruppo | 1950年代 | 『たまがわの里』 IL VILLAGGIO DEL FIUME TAMAGAWA | 一声とピアノ | あきかぜのおとだに | 調布時代に違いない | |
| 780 | 主の歌 Canto al Signore | 1949年頃 | 『君よ!』 TU VITTIMA DELLA CROCE | 一声とピアノ | きみはじゅうじかいけにえを | 自筆からは、この時代のものと判断する | |
| 781 | 行事のための歌 Canto d`occasione | 1937年頃 | 『チマッチ校長に献ぐ』 VIVA IL NOSTRO PRESIDE DON CIMATTI | 2部合唱 | なにしおうひじりのみあと | 宮崎小神学校時代の作曲。チマッティ神父の直筆はない | |
| 782 | 自然を歌う Canto sulla natura | 1942年頃? | 『ゆく、つばめ』 VOLA O RONDINE | 一声とピアノ | いだいなるたいようのもとにのびよう | 日曜学校の別れの歌、と鉛筆書きがある。三河島の時代か? | |
| 783 | 器楽曲 Musica strumentale | 1941年 | 『1.日本組曲 2.伊太利風円舞曲』 日伊若人親善 FANTASIA GIAPPONESE | ピアノのため | 印刷額「日伊若人親善」(1941年)という曲集より。 | ||
| 784 | 器楽曲 Musica strumentale | 1939年 | 『国の肇を讃えて』 ORIGINE DELL‘IMPERO@天孫降臨 A御東征 B御即位 3部ピアノ・ソナタ | ピアノのため | 日本建国2600年のピアノ・ソナタ。1月3日12時5分より、チマッティ神父自身がピアノを弾いて宮崎NHK放送局から全国に放送された | ||
| 785 | 器楽曲 Musica strumentale | 1940年3月 | 『宮崎八紘台の落成式のためのソナタ』 SONATA INAUGURAZIONE HAKKODAI DI MIYAZAKI | ピアノのため | 宮崎に建てられた「八紘一宇」(今の「平和台」)の落成のため、宮崎市に頼まれて作曲したもの | ||
| 786 | 器楽曲 Musica strumentale | 1926年2月7日船上 | 『PENSIERO』 思い ピアノ曲 | ピアノのため | 日本へ運んだ船“FULDA"上で作曲。Amerio神父に送る | ||
| 787 | 器楽曲 Musica strumentale | 1940年 | 『御降誕オルガン小曲集』 5 BREVI PRELUDI NATALIZI per ORGANO 850番と853参照 | オルガンのため | 五つの短い曲の他に、当時の聖歌集23番、29番、33番、35番、39番、36番、219番、220番の伴奏が含まれて印刷されている。なお、850番と853には第二集と第三集がある。これらは、別府教会でArri神父により出版された | ||
| 788 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1900年 | 『ELEMENTI DI ARMONIA PRATICA』 10 pag. 和声の実践 自筆は資料館にある) | 勉強や授業のための原稿か。直筆である。自筆の原本はローマの本部にある | |||
| 789 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1950年以前 | 『GENERELITA' DI ARMONIA』 和声一般 (自筆は資料館にある) | 勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中か戦後かに書いたもの | |||
| 790 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1950年以前 | 『GRAMMATICA O MORFOLOGIA MUSICALE』 19 pag. 音楽形態論 (自筆は資料館にある) | 勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中か戦後かに書いたもの | |||
| 791 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1900年 | 『LEZIONI MUSICA E CANTO CORALE scuole normali』 28 Pag.普通化のための音楽と合唱の授業 | 勉強の記録か授業のための原稿か。直筆である。自筆はローマの本部にある | |||
| 792 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1950年以前 | 『NOZIONI ELEMENTARI DI ARMONIA』 174 pag. 和声の基本概念 (資料館の2階) | 勉強や授業のための原稿。直筆である。使用している紙切れからみて、日本で戦時中に書いたもの | |||
| 793 | 音楽関係の著作 Scritti sulla musica | 1898年6月28日 | 『PROGRAMMI DI CANTO PER SCUOLE NORMALI』 師範学校の歌のプログラム(資料館2階) | Valasaliceで教えていたときの原稿。直筆である。原本はローマの本部にある | |||
| 794 | 台本 Libretto teatrale | 1942年 | BUSTASEIDE ブスタセイデ ⇒ 13番 | L.Del Col | オペレッタの台本。音楽と同じところに移された | ||
| 795 | 台本 Libretto teatrale | 1950年 | L'ASSEDIO DI AUGUSTA ⇒ 2番 | L.Del Col | |||
| 796 | 台本 Libretto teatrale | 1954年 | 愛のともし火は消えず LA CARITA` NON VIENE MENO ⇒ 14番 libretto無し | 恵美漸吉 | 台本は不在。オペレッタの台本は音楽と同じところに移された | ||
| 797 | 台本 Libretto teatrale | 1908年 | IL CIECO DI GERICO エリコの盲人 ⇒ 15番 | Cesare Zoboli | オペレッタの台本は音楽と同じところに移された | ||
| 798 | 台本 Libretto teatrale | 1941年 | ドン・ボスコ叙階百周年記念 CONSACRAZIONE SACERDOTALE DI DON BOSCO ⇒4番 | L.Del Col | オペレッタの台本は音楽と同じところに移された | ||
| 799 | 台本 Libretto teatrale | 1951年頃12月27日 | CORSARI IN VAL DI SOGNO 夢渓谷の海賊 ⇒ 16番 libretto無し | S.Pericolosi | オペレッタの台本は音楽と同じところに移された | ||
| 800 | 台本 Libretto teatrale | 1919年 | CRISTIANO, CAVAL. SENZA MACCHIA e senza paura キリスト者汚なく ⇒17番 | Anco Vinci | オペレッタの台本は音楽と同じところに移された。トリノの聖ヨハネ教会と聖ヨセフのオラトリオを担当していた時の作曲 |