いつも祈っている一人の神父に会うだろう。それはヴィンチェンツォ・チマッティです
チマッティ神父の墓の前に、日本で彼と長く働いた宣教師たちの長いリストが掲げられています。
その中の一人は日本に派遣された時に、チマッティ神父の弟子からこのことばを言われました。
「日本に着いたらいつも祈っている一人の神父に会うだろう。それはヴィンチェンツォ・チマッティです」
日本のキリスト者がチマッティ神父に会って、この質問をしたことがあります。
「神父さま、祈らない時がありますか」と、それに対して彼はこう答えました。
「天国の人といつも一致しないと、この世はどうなるのでしょうか」
また、日本の福音宣教の発展のためにどうすれば良いかと尋ねられたら、次の返事をしました。
「日本人の回心のために祈りは不可欠なものであり、しかも長く祈りをする必要があります」
祈りとは生きるために空気を呼吸するようなもの
チマッティ神父は若い時、ヴァルサリチェで神学生であった時から、自分の心を神にささげることを決めました。
「主と一つの契約を結びました。それはこの世に命がある限り心臓の鼓動のひと打ち・ひと打ちを主にささげることです」
チマッティ神父の祈りについての考え方は、聖アルフォンソから取ったもので、「祈る者は救われ、
祈らない者は自分と他人に滅びを招く者です」と。
チマッティ神父と一緒に司祭叙階を受けたトネッリ神父はこのことばを残しました。
「チマッティ神父にとって、祈りとは生きるために空気を呼吸するようなものでありました」
主イエス、私のお母さん聖母よ、ドン・ボスコよ
困難を感じてチマッティ神父に相談する人はいつも同じ返事を受けていました。
「祈りなさい。御聖体の聖櫃の前に跪きない。ドン・ボスコや扶助者聖母マリアと相談してから、頭に浮かんで来ることを、
出来る限り、実行しなさい」
チマッティ神父に祈りを求める人は多くいましたが、彼は求められる時にこのように答えていました。
「あなたが願った意向に従って喜んでお祈りをささげます。しかし願う恵みがあなたの霊魂の救いと同時に神の栄光になるなら願います」
サレジオ会員の色々な祝日に、会員に向けて、しばしばこのことばを口にしていました。
「この祝いにお互いのために祈りを捧げましょう。私達が一緒に祈れば何でも出来るのです。
聖母マリアと聖人たちに願う時に、天国の方々は私達の方に近づいて、耳を傾けて下さいます」
調布の神学生の一人は思う通りに祈ることが出来なくて、ある司祭に指導を願いました。その司祭は、こう答えました。
「チマッティ神父の傍でお祈りをしなさい。彼を良く見なさい」と。
日本の長崎の大司教であった田口枢機卿はチマッティ神父のことをこのように語りました。
「彼と一緒にいると、何回も神の何かを感じました。彼はいつも穏やかな人でありました。
穏やかさは神と一致している時にだけ感じられるものです」
チマッティ神父の全生涯は「主イエス、私のお母さん聖母よ、ドン・ボスコよ」ということばの繰り返しでした。
チマッティ資料館 マルシリオ神父
令和 5年 9月 6日
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