黒い服のモンシニョーレ |
![]() 宮崎教会で堅信を授けたブルトン司教(左側がチマッティ神父) |
初代「モンシニョーレ」になったチマッティ神父
1935年、宮崎の宣教地区は知牧区に昇格し、チマッティ神父はその初代Prefetto Apostolico(知牧者)となった。「モンシニョーレ(教会司牧者の尊称)」
になったチマッティ神父は赤い服を着、荘厳なミサの際に、ミトラ(帽子)とバクルス(杖)を使用することが出来た。
私たちは、一度でもよいから、そのような姿のチマッティ神父をみたかったが、彼はそうは思わなかった。称号や名誉職に関心はなく、目立つことを心から嫌っていた彼だったが、
権威を有する人々に対してはきちんと尊敬の念を示していた。 清貧に対する態度
知牧者でありながら、サレジオ会の管区長も務めていたチマッティ神父は、兄弟の会員と共に、会員の一人として、見栄を張ることなく働き続け、
皆に生活のよい手本を見せることが、彼のただ一つの関心事であった。「モンシニョーレ」と呼ばれて最初は異を唱えていたが、ついにそれに慣れてしまった。
ところが彼のスータンは新しくなることなく、つぎはぎだらけであった。彼の持っていた衣類はとても少なかったが、新しいものを贈呈しようとしても、決して受け取らなかった。
貧しい家庭に生まれ、清貧を愛し、それを英雄的に生きていたが、他人にそれを押し付けるようなことはなかった。 摂理に対する絶対的信頼
チマッティ師は、摂理に対する絶対的信頼をもっていた。ある時、チマッティ師はブルトン福岡司教を訪れた際に、次の質問をした。 チマッティ資料館 |