尊者チマッティ神父は生まれつき神様から多くの才能に恵まれました。
人から好まれる快活な性格、人を魅了する美しいソプラノの声(子供の時に天使の声の持ち主と言われていた)、人を驚かせる学問の能力の持ち主でした。
学生時代成績優秀で、学問と言えば、二十歳で音楽を教える資格、二十五歳で農学と哲学・教育学の学位を取得しました。
イタリアのヴァリサリチェ学院で20年間努めて、卓抜な教授、気の利く校長、学院長として「父」の評判を博しました。
その後、日本にお出でになり、二十年間以上サレジオ会の責任、大分・宮崎県の教区長の責任、晩年になっても調布神学生の院長としての責務と言う履歴の持ち主でした。
さらに、彼の功績が認められ、イタリアと日本の政府から色々な勲章を授かりました。チマッティ神父はそれだけ偉い者でありました。
自分は無で、何もできない人間
しかしチマッティ神父はいたるところで人から高く評されても、自分のことを何と思って表現していたのでしょうか。
彼は人の上に立つのをずっと嫌がり、人の賞賛のことばも大嫌いでした。自分のことをとても低く評価していたばかりでなく、態度とことばでもそれをはっきりと表していました。
まず、身なり、服装、生活様式において皆と同様に振舞い、自分に対して特別な扱いを絶対にゆるさない人でした。
話では自分についてしばしば次のことばを口にしていました「自分は無で、何もできない人間、むしろ万事に害をもたらし、愚か者で、人の不自由の元、
無用の司祭で邪魔者だけで、枯れ木のようなもの」と謙遜に言っていました。
自分のことを誇る人、人に対して傲慢な態度を取る人は泥にすぎない
チマッティ神父の話を聞いた人によると、彼が一番嫌っていたものは傲慢でした。おそらく、彼が長く目立つ立場に置かれていたので、この謙遜を学ぶためにずっと自分と戦ったのでしょう。
話によると「自分のことを誇る人、人に対して傲慢な態度を取る人は泥にすぎないものだ」と言っていました。
やはり彼の生活の目標はイエス・キリストのことばである「柔和で謙遜である私に学びなさい」にありました。
感受性の強い人で、音楽の著しい才能の持ち主として、人が彼の作曲した音楽を下手に歌うときに、強く反応を示す時もありましたが、しかし一瞬のことで、当たり前のことであるように、
毎度ゆるしを願っていました。彼の教えによると、謙遜とは「キリスト教の聖性の基本的な要素」「キリスト教の霊的な生活の基盤」「真理を認める勇気」と読んでいました。
晩年のチマッティ神父と一緒に生活した会員は、彼から過去の偉さと業績について、一言も言われていませんでした。
むしろ、人が普段したくないこと、目立たない任務を果たすことが好きでした。彼には目下を遠ざけるような長上ぶった態度が少しもなかっただけでなく、
ごく当たり前のように皆と付き合って、皆を引き付けていました。
チマッティ神父は良きキリスト者として、謙遜の点で、本当にイエスを仰ぎ見ながら生活を送ったと認めなければなりません。謙虚なお方であったので、人から愛されたばかりなく、今も愛されています。
チマッティ資料館 マルシリオ神父
2020年7月3日
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