慰めの止まらない涙
チマッティ神父はとても信心深い人であったことはだれもが認めていますが、しかし周囲には祈る姿以外に、
何もこれという特別なことは努めて見せていませんでした。しかし何もなかったと言いながらも、時々ではなく、
しばしば頻繁にあらゆる儀式やお祝いの時に、感激の涙がこぼれるのを止めることが出来ずにいました。
来日して、彼はほとんど毎月トリノの長上たちに宣教活動の報告の手紙を出していました。
その中で、自分の打ち勝つことのできない感受性を何回も打ち明けていました。
1926年3月19日、聖ヨセフの祭日、来日して一年目、チマッティ神父の叙階の記念日に当たって、
長上たちに自分の心の状態を打ち明けました。
「聖ヨセフの祭日とサレジオ会の保護者の祝いの日に私の初ミサを思い出しました。
それを考えながらイエスの前で、慰めの止まらない涙、説明できない甘美な感激のひと時を過ごしました」。
霊的な歓喜の味わい
同じ年の5月にリナルディ総会長に手紙を出し、活動の報告の外に自分のことも打ち明けました。
「ときにはミサを立てながら涙が溢れ出ます。しばしば天国のひと時を経験します。なぜだろうか?
なぜイエスは私に対してこのように振舞われるでしょうか。
5月24日には扶助者聖母マリアの祝日に、2回ミサを立てました。2回目は感激の涙に襲われました。
年のせいか、イエスとマリアは私を愛し過ぎておられるか!とにかくことばで言い表しえない霊的な歓喜の味わいでした」。
同じ年、聖母の無原罪の祭日にこのように書いています。
「全世界のサレジオ会員と共にこの祝日を祝いました。私はこの日、心に天国の喜びを体験しました」。
聖霊への素直さの返礼
1927年の手紙にこのことばがあります。
「イエスとマリアはずっと続けて私を支え、思いがけない慰めを与えて下さっています」。
1930年、叙階式の25周年。目上に出した手紙の中で3回も「感激の涙」に触れています。
「私の叙階式の25周年の日を心の平和のうちに過ごしました。イエスと一緒に内的な喜び、天国の幸せを二日間も経験しました。
感謝!感謝!感謝!」。
1934年4月30日、ドン・ボスコの列聖式。
「この日、それまで経験していない、ことばで言えない歓喜を覚えました」。
1937年の一つの手紙に
「多くの悩みを体験していますが主の愛に夢中になって生きています」。
1963年5月24日、扶助者聖母マリアの祝日に、また、トリノの長上に手紙を出し、このことばを書いていました。
「今日は聖母マリアの行列に参加しました。その後また感激の涙が止められないほどに溢れ出ました」。
実はその2〜3日後に、チマッティ神父は最後の病気に見舞われたのです。
この涙はなんだったのだろうか?聖霊の賜物と言うサレジオ会員もいます。
私の個人的な考えですが、チマッティ神父の聖霊への素直さの返礼ではなかったでしょうか!
チマッティ資料館 マルシリオ神父
令和 6年 1月 6日
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