多くの信心を大事にしたチマッティ神父   




チマッティ神父の祈り

チマッティ神父の祈り

病床のチマッティ神父

病床のチマッティ神父



  イエス、イエス、(ego amo te)愛しています   


 キリスト教では神は人間に近いお方でおられます。
 だれでもイエス・キリストの御託身、御復活、御聖体を考えれば、これを理解できます。
 チマッティ神父の信心の中で一番目立っていたのは御聖体におけるイエスへの礼拝でした。 彼は最後の2年半を寝たきりの生活を送り、毎日御聖体を頂く時の態度はことばでは言えないものでした。 訪れるイエスに対して手を伸ばし、声を出しながら「イエス、イエス、(ego amo te)愛しています」と。
 元気であった時には、ドン・ボスコの教えに従って、礼拝堂の聖体訪問を勧めていたばかりでなく、模範を示していました。 朝早く、どんな食事の後にも、御聖体を訪問していました。
 「礼拝堂の聖体を、短くてもよいが、頻繁に訪問しなさい。そうすればその時々のトラブルはなくなります」と言っていました。
 イエスの御心の信心を大事にしていました。この信心を自分の奉献と御聖体への礼拝に表していました。 この信心はドン・ボスコとドン・ルアの特別な信心でありました。イエスの愛を物語る信心ですので、ここから神と隣人への愛を学んだのです。



   マリアを通してイエスへ行く    


 「マリアを通してイエスへ行く」ということですので、聖母、扶助者聖母マリアへの信心を尊ばれていました。
 チマッティ神父の思い出が残っています。
 「小さい時のことが頭に浮かんできます。教会へ行った時に、お母さんとお姉さんは教会を出る前に、 毎回、私を、恵みの聖母の祭壇の前に連れて行きました」。
 サレジオ会員になったばかりの頃、彼は修練長に手紙を出して、次のことばを書いています。
 「無原罪の聖母マリアの会の会長に選ばれました。私は聖母マリアについて話をするのが大好きであります。 皆にこの美しいお母さんを愛して欲しいのです」。
 聖母マリアはチマッティ神父にとって、生きておられるお方、先生、保護者、息吹を与えられるお方でありました。
 1957年にチマッティ神父は初めて大きな病気をしました。この時は、特に外面においても聖母に対する親しみを表していました。 この愛は毎日ロザリオを何回も唱えることで表していました。
 ロザリオを唱える彼の姿は有名になった一つの写真に見られます。ロザリオの奥義の三つの彼の説明・黙想が残っています。
 トリノ市にドン・ボスコが造らせた扶助者聖母の大聖堂があります。ドン・ボスコはその聖堂の中央祭壇の上に扶助者聖母の大きな絵画を描いてもらいました。 チマッティ神父はその絵の前に彼のために祈りがささげられるように何回も人に願いました。



   祈りとは音楽でもあった    


 晩年のチマッティ神父は見舞いにこられた方に何回も扶助者聖母の祝福を与えました。 彼の作曲の中で「扶助者聖母のミサ」の外に、沢山の「アヴェ・マリア」の作曲もあります。
 その外に、チマッティ神父がお祈りをささげた聖人がいます。聖ヨハネ・ボスコ、聖フランシスコ・サレジオ、 聖ヨセフ(この聖人の祝いの日に叙階されました)、小さき聖女テレジア。 チマッティ神父にとって、祈りとは音楽でもあったので、これらの聖人たちのために多くの作曲を書き残しました。                    



                                

                                             チマッティ資料館  マルシリオ神父
                                                  令和 5年 11月 6日


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