チマッティ神父は9歳の時からサレジオ会のオラトリオに通い始め、その学校で教育を受けて、やがて1896年10月4日、
17歳の時に終生誓願をたてることによってサレジオ会員になりました。
サレジオ会とはドン・ボスコが創立した修道会であり、その会員は共同体で生活して、貞潔・清貧・従順を守り、神の国と青少年のために尽くすことに自分の生涯をささげるのです。
さて、チマッティ神父は修道者の誓願をたてたが守ったのだろうか。
チマッティ神父の英雄的な貞潔
今回はチマッティ神父の英雄的な貞潔に焦点を当てて書いてみました。
彼の多くの手紙によりますと、彼も自分の長い生涯の間に、他の人間と同じようにいろいろな誘惑に会い、自分の欠点は傲慢と強い感受性だ、と言っていました。
実際にチマッティ神父は人を愛するお方であったばかりでなく、その愛情を外部にも示していました。
そして彼は、洗礼によって神から授かったこころの清さを、陰りなくずっと保ち持ち続けました。
彼に直接に接した幾人かの証言を引用させていただきます。
証言1
イタリア時代の彼の学生仲間の一人は次のように言っています。「チマッティ神父は若い時にはだれとでも話を楽しくかわしていました。女性を避けてはいなかったが、
彼女らに対して礼儀正しく振舞い、ことばを控えめに、用事を早く済ませていました。彼には天使のように清いこころを反映する輝かしい目がありました。
人々はその眼差しから勇気、忍耐を得ました。私達の間に<ドン・ボスコは彼のようなものであった>という話が聞かれたぐらいです。
彼を見るだけで変な考えはいつもすぐ消えていました」。
証言2
一人の司祭の断言があります。「私は彼とともに40年間を過ごしたが心の美しさを曇らせるようなことは何も発見できなかった。
2年間も霊的な指導を与えたが、彼はドメニコ・サビオのように清さそのものであった。彼の目には純潔が表れていたばかりでなく、純潔の喜びが見えていた。
彼を見るだけでまた彼の話を聞くだけでそれは皆に伝わっていた」。
証言3
一人の修道女はこう述べています。「チマッティ神父は私達皆を愛していました。しかし彼は自分に対する愛情を求めず、度の過ぎた親しさを表す事もありませんでした。
彼の傍にいると、神聖でない考えが頭に浮かぶことは決してありませんでした。彼のやり方は、単純なもので、何ら不自然さを思わせるものはありませんでした」。
惨めさの中には貞潔の誘惑も含まれます
チマッティ神父は純潔について話をする時は、それを愛でるように話をしていましたが、反対に悪徳について話をする時は、その表情に非常な心苦しさが表れていました。
チマッティ神父はよき修道者としてまた素晴らしい長上として祈りで神にお願いしていました、「他の会員の代わりに、私をあらゆる試しや惨めさに会わせて下さい」。
惨めさの中には貞潔の誘惑も含まれます。ここに彼の言葉があります、「私の生涯に肉の誘惑を除いて、他にそれほどの試しはなかった」。
これを受け入れたのは自分の謙遜を深めるため、兄弟たちへの愛のため、また、その尊い霊魂を救うためです。
とにもかくにも、いつも落ち着いて晴れ晴れとした気持ちで神の助けを信じていました。
チマッティ資料館 マルシリオ神父
2020年11月1日
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