(9) 宮崎教会でのスタート

2月16日

午前11時頃、宮崎に着きました。

何名かの信徒と共にパリミッションのBonnecazeボナカーズ神父が駅で待ってくれていました。何人かの子供たちが、カテキスタの先生から前もって知らされて、早く私たちを見るために駅の100メートル先から「万歳!万歳!」と叫んでいました。駅から出たところ、まっ先に微笑んでお辞儀してくれたのは、2人の小さい子供でした。ドン・ボスコは、自分の子らに最初の挨拶をするのは、自分とイエス様のみ心から一番愛されている子供たちであることを望まれたのでしょう。

そこから行列が始まりました。私たち6名は人力車に乗り、カヴォリ神父は先頭、私はしんがりで教会に向かいました。すでに新聞で私たちの到着が報じられていました。市民たちが好奇心のまなざしで私たちを見、警官たちが警備しながら信者たちに情報を聞いている中で、私たちは堂々と進んでいきました。

教会に着いたら、夢を見ている感じでした。教会は、日本式の素晴らしい建築です。天国から落ちてきたかのようでした。教会の前で6名で「テ・デウム」〔感謝の賛歌〕を歌い、日本の聖母、殉教者の元后、キリスト信者の助けの称号で尊ばれているマリア様に、私たちを捧げました。ドン・ボスコの聖母は、日本でも、キリスト信者の扶助者の称号で尊ばれたいのです。神に感謝! ふたつの意味で、故郷に来たような感じです。
宮崎の聖ヨゼフ教会

晩になって、主任司祭は信徒(約100名)を集めて荘厳な聖体讃美式を行ない、その後、壮年の男子が私たちに挨拶しました。通訳を通して、私が神が勧めてくださった言葉を話した後、昔なじみの友人であるかのように、互い例のお辞儀をして別れました。

今日は、聖ヨゼフに捧げられた月の始まりで〔3月17日まで〕、教会も聖ヨゼフに捧げられています。これ以上、望めることはあるのでしょうか。

2月18日

今日は、灰の水曜日。灰の式に駆けつけた信者たちの額に灰を塗りました。この人たちこそ、大きな期待を抱かせる選ばれた一握りの信者です。戦いながら異教徒の間に生きているここの信者は、強く、たくましく、自分の務めを果たすことに厳格です。閉鎖的とも言えます。特にこの宮崎で。大多数は農家からなるこの共同体は、余り好まない都会生活や学問から離れる傾向があります。この現象は、特に聖フランシスコ・ザビエル時代の古い信者の子孫に見られます。確かに、彼らは大きな困難を抱えています。前述の状況からも解るように、彼らは貧しく、心細い日々を暮らし、はばかりも見られます。すべてを許すプロテスタントや異教と比べれば、カトリックは厳しく感じられます。物質面で裕福に暮らし、出世しようと思えば、公の宗教である神道が欠かせないようです。他にもいろいろな理由がありましょうが、この土地にまだ慣れていないので、まだつかめません。とにかく、一見したところ、将来のために素晴らしい実りが期待できそうです。

目下、私たちには、活動するための一番必要な手段、すなわち言葉が欠けています。聖フランシスコ・ザビエルが手紙で書いたことは、私たちにも当てはまります。「この民の間で、私たちはまるで沈黙の像のようです。人々が私たちについて話し、論じたりしているのに、私たちは返す言葉がありません...。」この年になって、言葉を習得しながら、幼子に戻ったかのようです。願わくは、子供たちのように純真で素直になれますように。

私たちは、建物の2階の4つの部屋で共に寝起きし、勉強しています。少々窮屈ですが、もっと悪い状況の人を考えれば、まだましです。1階には食堂があり、他の部屋はパリミッションの神父様が使っています。

順調にいけば、22日の月曜から本格的な時間割に入ります。それについては、次回にご報告しましょう。

昼食の時、日向新聞の編集長がインタビューにやって来て、私たちの写真を撮し、どういう者か、何のために来たのかを聞きました、私は、すぐに話した方がいいと思いました。

そして、今日、新聞にその記事と写真が載りました。(翻訳を送りますが、十分には表現できていないと思います。日本人の頭の中を理解するのは、しばしばとても難しいことです)。これは、日本において、初めて公に出たドン・ボスコ、サレジオ会の記事です。

午後、タンギー神父と一緒に、県知事、市長、警察の長官に挨拶に行きました。3人とも丁寧に迎えてくださり、必要とあれば、いつでも協力すると約束してくれました。県知事は、お茶を出してくれました(日本の習慣で砂糖は入れません)。ここでも、他の場所と同様に、お辞儀やお礼の言葉が延々と続きました。とにかく、私たちの訪問は皆から喜ばれたようで、こちらにとっても有益でしょう。夕方、やっと元気になったリビアベラ神父が宮崎に着きました。

2月19日

リビアベラ神父は、目の痛みを訴えています。目医者に診てもらった方がいいと判断しました。ここの医者でも、日本式の礼儀です。靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、人々に深々とお辞儀する。病人は、診察室に入るときも、またスリッパを脱ぐ。お医者さんの奥様が紹介されるときも、またご挨拶を繰り返し(膝をついて、這い這いする子供のように手を床につけて深く3回頭を下げて、すすめられた座布団に踵の上に座る。そして、100語中3,4語しか解らない楽しい語らいが始まって、皆ニコニコと微笑む。別れるとき、お医者さんがまた玄関まで見送ってくれて、ヨーロッパ人が靴はきの体操をする様子を見ながら楽む、という具合でした。

今度は、カヴォリ神父が病気になりました(リューマチから来るひどい熱でしょうか)。

今日、マルジャリア神父とグアスキーノさんが一行に加わり、やっと全員そろいました。

晩に行われた十字架の道行には50人余りの信者がとても信心深く参列しました。その中の数人は、毎日ごミサにもあずかり、ご聖体をいただいています。

2月20日

カヴォリ神父の熱はなかなか下がりません。お医者さんに往診してもらいしたが、はっきりしたことはひとつも分かりません。胃腸障害と言っていますが...しばらく様子を見ることにしましょう。今、いたるところでチフスが流行っています。

これからは、仕事です! 私たちのため、若者たちのためにすぐに始めたいのですから!(略)

私個人のことは、どうでしょうか。− まあ、とても落ち着いています。集中することにいつもの困難を感じますが、健康は良好です。どうか、仕事、信心、犠牲の精神において、聖人になれますよう、お助けください。

聖ヨゼフの祝日のためお祝いを申し上げます! 私と私たちの宣教地のために祈ってください。

ここの人たちは皆、異口同音に話していること、言ってくれていることは、まず、言語習得は大変困難だ、と。使徒職はさらに困難だ、と。司教様も、環境に慣れる難しさについて話してくださいました。ですから、生活の急激な変化を避けるため、経済的犠牲が伴うにしても、食事をもう少し豊富にし、少しワインを出した方がいいと思います。(管区長も賛成です)(略)

どうか私を祝福し、聖ヨゼフの取り次ぎにより私のために謙虚さ、集中の精神、仕事に励む力、また、自分自身や愛する兄弟たちのために、心の中にイエス様を保つ恵みを祈ってください。総長様を、そしてすべての愛する長上の方々を心から抱きしめます。

宮崎での記念写真 (拡大)

あなたの取るに足りない息子 V.チマッティ神父