(10) 日本語の勉強が始まる

チマッティ神父の日誌より

2月26日

仕事計画 それは、日本語の勉強と日本の生活に慣れることである。指導者は、ボネカーズ神父と阿部氏である。
勉強方法 尋常小学校の教科書を使う。(午前中は読み書き。午後は会話と暗記のための書き取り)。各自、さらに自由に勉強の機会を増やし、能力があれば、より多くのことを学ぶ。
これが良い方法かしら 十人十色である。皆、必死でやっているが、当然、得意な者もいれば、苦手な者もいる。先生や私たちが互いに理解し合う難しさゆえに、進みぐあいが遅く、誤解や間違いも多々ある。それでも、進歩しているのは確かである。修道士の中に、後ずさりする者(グアスキーノさん)が出てきている。
修道生活 会憲や会の伝統を厳しく守るようにし、自分たちの聖性に一層力を入れるようにしている。

尋常小学校の国語教科書
教科書の内容(一部)

最初の15日間、日本の冷たい食事を摂り、風土に慣れていないためか、ほとんど全員が1週間にわたり高い熱を出し、伝染病ではないかと心配したこともある。

けれども、一番大きな犠牲は、否応でも、話せない子どものようになってきたことである。皆、ある程度年を取っていて、勉強の魅力というよりも、義務感や意志によってのみ支えられている。何も理解できず、何もできない状態である。聖フランシスコ・ザビエルの言葉を借りると、まるで大理石の像のようだ。どうか、主が助けてくださいますように!

このような犠牲は、余り人々に理解されていない。本には、宣教生活の素晴らしさや冒険のみが強調されているが、一番辛いのは、切り離されている状態にあって、何もできず、屈辱的な、気力を消耗する生活を送っていることである。

会員は、戦争の生き残りがほとんどで、その受けた悪影響が犠牲を一層大きくしている。

毎日の単調さに変化をもたらすため、遠足、イタリアのボッチェ(bocce)の試合〔玉転がしのゲーム〕、写真コンクール、晩のコーラス、興味ある場所への見学、家の仕事、教会の祝いの飾り付けなどが役立っている。日本の典礼暦にはイタリアの祝日が入っていないので、物足りなさを感じる。何かの活動ができる近い将来のため、何をやったらよいかを今考えている。

音楽や侍者の奉仕によって、教会の祝日をより荘厳にできる方法も考えている...。日本語の片言を話せるようになったら、人びとのために何かをしたいなあ、という気持ちで一杯である。

午後、子供たちを集めて、皆、何かをしようとしている(話し合いとか、物語を語ること、音楽を演奏するなどである)。こうしたことで、なんとかして主任司祭を助けようと務めている。

 

記事 日本人の性格 (サレジオ会の機関誌Bolettino salesiano6月号より)

「日本の自然の中に見られる調和は、この国民の紳士的な態度、公共施設や個人の家や、道、交通機関の適切な手入れ、こまやかな礼儀作法、持ち物の美的な装飾にも見られる。

日本の国民は、開かれた高い知性と理想の持ち主である。活動的であり、上手に物事をこなし、繊細な感覚があり、親切である。常に威厳を保ち、顔に微笑を浮かべているが、その態度の裏に、心の中の感情を上手に隠しているのである。美しい自然の中に育っているため、自然を愛する雰囲気も育んでいるのである。

愛国心が熱狂的であり、思いと心が大胆で、勇気がある。彼らの目には、美しいまた良いのは、自分の故郷だけ、また帝国の繁栄だけである。それゆえ、自らの知性も能力も命も、すべて、そのために捧げる覚悟でいる。」