(20) 日本語の難しさ

宮崎1926年5月2日
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ

いつも敬愛なるわたしの良いパパ、

今月の「良き死の練習」〔静修〕です。だから...少しご報告いたします。

1) 健康はすべての面で良好。食欲も、睡眠も。
2) 勉強と仕事は、できるだけ力を入れています。義務ですし、またよい手本も示さないといけないのですから。しかし、よくご存知のとおり、このかぼちゃ頭は、相変わらず固いのです。イタリアのびわのように、熟するには時間がかかります! 今は、教科書第3巻まで来ています。国鉄でも使われるカタカナが十分にでき、今は、ひらがなと当用漢字を覚え始めました。毎晩、日本語の文章とその構造を覚えるために会話します。文の構造は本当に大変です。昼食や夕食の時、箱から漢字1つを引いて、各自小さな文章を作り、皆の前で発表します。

今月の終わり頃、少なくとも短い間、食堂で日本語で話すことを義務付けられると希望します。言葉は、仕事のために欠かせない武器です…、皆それを研ぐようにしなければ…。しかし、思ったより固いですね。将来の人たちのためにこのことを覚えておくべきです。子供たちとの話は…。後に申し上げましょう。(…)

教会学校(oratorio)は、日曜日だけでなく、毎日も定着しそうです。言葉を話せるようになったら、また私たちの教育法が要求する場所を整うことができれば、宮崎市内の多くの若者が集まってくるでしょう。試してみたところ、確信を得ました。しかし、まず、私たちが自由に動けることと…、資金が必要です。まあ、神様はお金持ちです!(…)

神父様、トリノでマリア様の前で私たちに代わって、お母様にこうおっしゃってください。「日本にいるあなたの子たちは、やむを得ず、置かれている状況により人々があなたを愛するようにまだできませんが、あなたを知らない人々に代わって心からあなたを愛し、私の手を通してあなたに自分たちの心を捧げ、清い、美しい心で愛に燃える人になりたいのです。」(…)

会員の心は、祈りをとおして、私と共に神父様の側にいます。

あなたの V.チマッティ神父