(28) 教皇庁使節の宮崎訪問、神社参拝の問題、学校の見学


宮崎 1926年7月4日
Rinaldi Filippo リナルディ・フィリポ神父へ

敬愛するリナルディ神父様

昨日、父親のような心で一日半一緒に過ごしてくださったジャルディーニ教皇庁使節閣下が、出発されました。私たちのために、また宣教地のために提案してくださったことを早速まとめ、ご報告申し上げるのは私の務め、また有益なことであると思います。

使節は、木曜日の夜十時頃、到着されました。駅には、私たちの他に、信者一同が指示がなくても大勢整列し、いつものお辞儀で迎えました。車で教会に案内され、軽い食事をとられた後休まれました。朝六時、歌と伴奏を交えた荘厳ミサがあり、大勢がご聖体を拝領しました。朝食後、宮崎県知事、市長、県警長官など、市当局を訪問し、県知事が使節のために用意された車で神武天皇を祀った神社をはじめ、考古学博物館などを回り、夕方には熱帯植物が繁る青島にも出かけました。

 
ジャルディーニ
教皇庁使節閣下

修道院に戻ってからは、共同体のために素晴らしい講話をし、我々に委ねられた人々の間に「み国が来ますように」活動を続けなさいと励まし、日本での、特に私たちの宣教地での宣教の難しさを話してくださいました。日本人の性格、昔からの伝統、優越感、豊かさ、宣教師の少なさ、外面的丁寧さの背後にある道徳的乱れなどを話し、さらに、私たちに任された地域での今までの成果・実りの少なさ、言葉の問題など、いろいろ話してくださり、み摂理が必ず私たちを助けてくださるから、全面的に信頼するように、と励ましてくださいました。夕方の荘厳な聖体賛美式の中でフランス語で信者たちに挨拶し、主任神父様がそれを訳しました。信者たちには、おメダイをプレゼントされました。

翌日、県知事が使節を昼食に招いてくださったので、私もボンカズ神父様も一緒に参加しました。午後二時頃、使節は出発されました。信者たちは、とても良い印象を受け、県知事の丁重なもてなしにも歓心を示し、会員一人ひとりにとっても使命をよく果たすための準備を進める大きな刺激になりました。

現地の新聞も使節の訪問を記事にして、神武天皇の神社で参拝された、とも書きました。そのことで、不安に陥った信者もあり、主任神父様は教会でそのことについてきちんと説明しました。真実は次のとおりです。

知事は、使節が神社を訪問する際、榊の枝を捧げるよう勧めました。この行為は、全く宗教的な行為ではないと、前もって説明されました。一方、東京の明治神宮で以前に花を捧げたことのあった使節は、今回も境内に入りました。が、進みながら神主が傍らにいたので、礼拝をしている誤解を招いてはならないと思い、脱帽しただけでした。

この神社参拝のことは、一番議論されている問題の一つです。政府のはっきりした見解では、神社は、天皇と日本国の英雄たちを祀る記念碑、それを守る神主はただの公務員、そこで行われる行為は市民としての行為であるに過ぎない、と言っています。ところが、国民や聖職者(司教や特に邦人司祭)の大部分は、それを宗教的な行為・礼拝と見なし、信者たちにそうしないように、と勧めるべきだと考えています。

最近あった実例。宗教に関する新しい法律を検討する委員会の席上、宗教の代表者は、なぜ神社礼拝についてひと言も触れていないか、と文部大臣らに質問しました。これに対し、担当大臣は、上記の政府の見解をもって答えました。そのため、議論が持ち上がり、三日間も続きました。上手にこの状態を脱するため、大臣は、この問題はとても重要であり、深く研究する必要がある。折を見て、特別委員会を設置して討する。とりあえず、任された議題を討議しよう、と回避しました。確かに、もし、神社参拝は宗教行為だ、という考え方が優位になって、政府が国民にそれを義務づけるならば、キリスト信者はそれを拒否することになる、そして、迫害が起こるでしょう。

政府は、このままでは若い世代が何も信じないで育ってしまうことをみて、人々の良心を育てるべきだと言っています。また、カトリックの教えに好感を示しています。というのは、権威者への忠誠を教えているからです。今のところ、反対の命令が出ないかぎり、私たちは(質問を受けた場合)司教様や主任司祭が教えているとおり、このような儀式に市民としての意味しかない、と教えることにします。(略)

使節閣下は、現地の宣教師たちに引き上げてもらう日程として、十二月を提案する。その後、しばらくの間、特別な時に手伝ってもらえるよう司教様に書面で願う、とおっしゃいました。

私個人としては、水の中に飛び込まないかぎり、泳げないという考えです(これも傲慢なのでしょうか)。それでも、このぐらいの延期に賛成するのは、

(a) 協力者であり、私よりも経験や聖徳を積んでいるタンギー神父とピアチェンツァ神父がそのように考えていること
(b) 言葉を身につけるのに二・三年はかかる。一年足らずで準備できたはずはない、と言っている他の修道会に対して、サレジオ会員は大事なことを軽率に急いでやろうとしている印象を、与える危険があること
(c) もう少しよく状況を把握した上で、将来の仕事の計画を立てることができる、と判断したため


その他のニュース

七月一日 宮崎の気象局を訪問してきました。風速、気温、湿度のための機器、特に地震を計るための最新の機器がそろっています。(……)

七月三日 初めて宮崎の小学校の合唱コンクールに参加しました。児童数は男女合わせて四千人、そのうち二千人が大きな講堂に集いました。他の宣教地なら素晴らしいと思われる演劇やさまざまな催しでも、ここでやっていることと比べれば、大したことではない、と思われるでしょう。音楽もダンスもとても上手で、目を見張るほどの才能を発揮しています。斉唱も自然な感じで、上手にやりこなしています。

私の良きお父さん、どうか私のためにお祈りください。イエス様が、私を本当にご自分のものにしてくださいますように、また心を集中して祈り、謙虚で、清く、人々を心から愛する者となれますように、お祈りください。それを本当に必要としています。(……)どうか、子どもの愛をもって父の前にひざまずく私たち皆、皆、皆を祝福してください。

誰よりもそれを必要としている あなたのこの V・チマッティ神父