(31) 日本のお茶、日本の礼儀作法

宮崎 1926年7月31日
Caviglia Albertoカヴィリア・アルベルト神父へ

親愛なるカヴィリア神父様

とてもお忙しいのに、私のことを思い出してくださるなんて、大変なことでしょう。私としては、思い出してくれる方がいらっしゃると思えば、特に愛を分かち合っている者どうしならば、感慨無量です。私の人生を振り返ってみますと、長年共に働き、苦労と喜びを分かち合った(トリノの)聖ヨハネ支部とその会員たちほど、心に深く刻まれている者はいないでしょう。もちろん、神父様のことは、言うまでもありません。これは、決して、お世辞ではありません。私の愛するアルベルト神父様、私は毎日、神父様と聖ヨハネの支部を思い出しています。

 では、私たちの問題に入りましょう。

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神父様がおっしゃる日本のお茶のこと。私にはとても理解できません。私の手で摘んだものですし、私たちも毎日、日本茶を飲んでいます。まず、日陰で乾燥させて、それから沸騰したお湯をかけて、飲むのです。砂糖なしで! 試してみてください。ともかく、この次、トネーリ神父にまた植物の標本を送るとき、新しいものを入れます。ここでは、通常の飲み物です。健康にはとても良く、おかげで私たちは皆元気になっています。昼食も夕食も日中も飲み、どんな家庭へ行っても日本茶が出ます。飲むときは、少しずつ飲んで、できるだけ音を立てます。美味しいという意味です。美味しくないと思っていても、そうするのです。少ししか入っていない茶碗を手にして、一時間でも話さないといけません。時々、茶碗を口にあて、音を立てながら飲むふりをし……また話を続けます!

それでも、宴会の時のやり方は気に入りません。食事の最後に日本の主食であるご飯が出ます(日本では、すべてのものに敬語を付けます。ご飯のように、猫、犬にも)。お箸でご飯粒をつかむことができないほど少なくなったとき(お箸も素晴らしい発明です!)、女主人はお碗にお茶をいれてくれます。これで、飲みながら食べるのです。最後に、お碗を洗うために、また入れてくれます。これで、礼儀の行き着くところは、お碗を洗うことです。先日宮崎で、初めて、家の女主人の指導のもと、この儀式を体験しました。ご婦人は、私の前に座って扇子で扇ぎ、お嬢さんは後ろで扇いでくれました。日本にしか見られない親切さです! これ以上言わないことにしよう。戻る時のための特ダネにしておきます。

A〜C (略)
D

数カ月後、パリミッションの宣教師たちは発って、私たちがこの宣教地を受け継ぎます。その時、どうなるかまだよくわかりませんが、おそらく、すべてを持っていくでしょう。その場合、またご協力が必要となり、お煩わせすることになりましょう。(……)最後に、わがアルベルト神父様、すべてのためにありがとうございました。

 (……)皆によろしく。心から抱きしめます。

いつまでもあなたの  V・チマッティ神父