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【05】チマッティ神父の列福調査 (1)
1966年〜2001年

Last Update:
2008-06-05
No 分類 和暦 西暦 期間  
780 2 昭和41年 1966       オペラ『細川ガラシア』が上演される
781 1 昭和41年 1966       Crevacore神父は列福調査のための資料収集を始める
782 2 昭和41年 1966       Tassinari著“MONS. CIMATTI VISTO DA VICINO”イタリアで出版
783 1 昭和41年 1966 10 6   神学院の新聖堂の着工式
784              
785 0 昭和42年 1967 10 4   府中カトリック墓地でご遺体が掘り起こされ、新地下聖堂に安置
786 1 昭和42年 1967 10 5   修道院の新聖堂の落成式
787 1 昭和42年 1967 10 6   カトリック調布教会が小教区になり、池田貞夫神父が初代主任司祭。数年間、修道院の新聖堂を使用することになる。チマッティ神父が建てた小聖堂の祭壇・ベンチは地下聖堂へ
788 2 昭和42年 1967 10 6   オペラ『細川ガラシア』が文京会堂で上演される
789              
790 1 昭和43年 1968 3     調布サレジオ神学院の院長はSimoncelli Carmelo神父、日本サレジオ管区の管区長はDell’Angela Stefano神父
791 1 昭和43年 1968 3     Crevacore神父、小平サレジオ修道院でチマッティ神父の資料の準備に専念する
792              
793 1 昭和44年 1969       Crevacore神父、イタリアで資料の招集に専念する
794              
795 2 昭和45年 1970       Crevacore神父によるチマッティ神父の手紙集と証言集の初版
796 6 昭和45年 1970 7 22   別府でCecchetti Albano神父が帰天。多くの手紙を受けている
797              
798 1 昭和46年 1971       尻枝正行神父が調布サレジオ神学院の院長になる
799              
800 6 昭和47年 1972 3 9   第一グループの修道士Luigi Guaschinoがトリノで帰天
801 2 昭和47年 1972 8 15   Crevacore著イタリア語”DON CIMATTI”の詳しい伝記を仮印刷
802 6 昭和47年 1972 11 22   第一グループのAntonio Cavoli神父が東京で帰天
803              
804 1 昭和48年 1973       本田善一郎神父が日本サレジオ管区の管区長となる
805 1 昭和48年 1973       Crevacore 神父,、別府サレジオ修道院で九州の資料収集に専念
806 2 昭和48年 1973       Adolfo l’Arco 著“DON CIMATTI il Don Bosco del Giappone” が出版
807 2 昭和48年 1973       同様にTeresio Bosco著の冊子“DON CIMATTI”が出る。これは、スペイン語、ポルトガル語、英語訳も出る
808 0 昭和48年 1973       チマッティ神父の化石などの標本は川崎サレジオ高等学校に預けられる
809 1 昭和48年 1973       ファエンツァでは音楽家Ino Saviniが音楽収集を開始
810              
811 1 昭和49年 1974       山本克己神父が調布サレジオ神学院の院長になる
812 1 昭和49年 1974       Crevacore神父、調布に戻される
813              
814 2 昭和50年 1975 5 24   クレヴァコーレ著『チマッティ神父の生涯』全2巻発行。最も詳しい伝記である
815              
816 1 昭和51年 1976 3 5   列福調査開始申請
817 1 昭和51年 1976 11 26   東京教区で列福調査のための証人の証言聴取開始
818              
819 0 昭和52年 1977 11 18   東京大司教と医師2名のもと、遺体検証が行なわれる。腐敗していないことが確認
820 2 昭和52年 1977       Enzo Bianco著“DIVENTARE TERRA GIAPPONESE”を出版
821              
822 1 昭和53年 1978 1 22   調布の聖堂で東京教区の調査終了式。ローマへ資料を送る
823 6 昭和53年 1978 1 30   イタリアでMarega Mario神父が帰天。キリシタンの研究家
824 6 昭和53年 1978 1 31   第一グループのAngelo Margiaria神父がローマで帰天
825 1 昭和53年 1978 6 3   トリノ教区でも調査終了
826 8 昭和53年 1978 9     教皇ヨハネ・パウロ1世即位(一ヶ月のみ)
827 8 昭和53年 1978 10 16   教皇ヨハネ・パウロ2世即位。
828 2 昭和53年 1978       G.Mantegazza 著“UN UOMO FRA GLI UOMINI”イタリアで出版
829              
830 1 昭和54年 1979       山本克己神父が日本サレジオ管区管区長に、村上康助神父が調布サレジオ神学院の院長になる
831 0 昭和54年 1979 7 15   チマッティ神父誕生100周年
832 6 昭和54年 1979 7 28   別府でBovio Felice神父が帰天。チマッティ神父の教え子
833 2 昭和54年 1979 11 23   下井草教会の記念コンサートでNemeshiegy神父が記念講演
834 2 昭和54年 1979       Crevacore著“UN UOMO DALLE MOLTE VITE”イタリアで出版
835              
836 2 昭和55年 1980 11 9   生まれ故郷FaenzaでIno Saviniの指導で記念コンサート開催
837              
838 1 昭和56年 1981 6 3   チマッティ神父著書の調査終了
839 6 昭和56年 1981 6 29   イタリアでManganelli Giulioが帰天。多くの手紙を受けている
840 2 昭和56年 1981 12 24   Crevacore著『ほほえみ、慈愛と祈りの人チマッティ神父』出版
841              
842 2 昭和57年 1982 1 22   チマッティ神父著書(手紙40巻、証言10巻など)ローマへ提出。本部での列福調査担当者はLuigi Fiora神父
843 1 昭和57年 1982 10 11   調布でチマッティ資料館を着工
844 6 昭和57年 1982 11 28   第一グループのLeone Liviabella神父が東京で帰天
845              
846 0 昭和58年 1983       チマッティ神父の化石の標本、川崎サレジオ高校から調布に戻る
847 6 昭和58年 1983 4 19   イタリアで教え子Ziggiotti Renato総長が帰天
848 1 昭和58年 1983 9 2   チマッティ資料館落成式(初代館長はクレバコーレ神父)
849 1 昭和58年 1983 9 4   クレバコーレ神父、山中湖で脳溢血で倒れる。最期まで後遺症が残り、片腕は不自由のまま
850 6 昭和58年 1983 11 25   イタリアでBraggion Enrico神父が帰天。最初の神学生の一人
851              
852 1 昭和59年 1984       溝部脩神父が調布サレジオ神学院の院長となる
853 2 昭和59年 1984       Ino Savini 著“OPERE MUSICALI DI DON VINCENZO CIMATTI” (チマッティ神父の作曲集)がイタリア語で出版される。1987年、また1988年、後に発見された作曲の付録が加えられた
854 6 昭和59年 1984 8 6   韓国でMartelli Archimede神父が帰天。韓国のサレジオの事業創始者
855              
856 1 昭和60年 1985       G.B.Massa神父が日本サレジオ管区の管区長となる
857              
858 6 昭和61年 1986 2 3   第一グループのAlfonso Merlino修道士、イタリアVarazzeで帰天
859              
860 6 平成元年 1989 12 18   別府でCastiglioni Alberto神父が帰天。多くの手紙を受けた
861              
862 1 平成2年 1990       山本克己神父が調布サレジオ神学院の院長になる
863 6 平成2年 1990 9 26   別府でBernardi Ernesto神父が帰天。最初の神学生の一名
864              
865 1 平成3年 1991       溝部脩神父が日本サレジオ管区の管区長となる
866 6 平成3年 1991 10 19   Del Col Luigi神父が帰天。多くの作曲の詞を書いた
867 0 平成3年 1991 12 21   教皇ヨハネ・パウロ二世はチマッティ神父の英雄的徳を認め、「尊者」の称号を与える
868              
869 6 平成7年 1995 6 2   イタリアで教え子Zerbino Pietro神父が帰天。大協力者だった
870 6 平成7年 1995 7 21   イタリアのFaenzaでマエストロIno Saviniが帰天
871 6 平成7年 1995 12 28   調布で資料館長Crevacore神父が帰天
872              
873 6 平成8年 1996 2 29   イタリアでBarbaro Federico神父が帰天。出版で大活躍した
874 1 平成8年 1996 3     藤川長喜神父が調布サレジオ神学院の院長となる
875 0 平成8年 1996 5 12   チマッティ神父の姉シスター・ラファエラが列福される
876 2 平成8年 1996       基本的な著作であるLuigi Fiora著“DON VINCENZO CIMATTI il Don Bosco del Giappone”がイタリアで出版
877              
878 1 平成9年 1997       藤川長喜神父が日本サレジオ管区の管区長となる
879 1 平成9年 1997       松尾貢神父が調布サレジオ神学院の院長。資料館も管理する
880 6 平成9年 1997 5 23   Mantegazza Giovanni神父帰天。チマッティ神父の伝記を書いた
881              
882 6 平成11年 1999 1 31   Dell'Angela Stefano神父帰天
883 2 平成11年 1999       インドで英語のA. Mampra著 “DON VINCENT CIMATTI the Don Bosco of Japan” が出版される
884              
885 6 平成12年 2000 2 14   Romani Ulderico神父がローマで帰天
886 1 平成12年 2000 2 14   G.Marsiglio神父が調布サレジオ神学院の院長になる
887 1 平成12年 2000 4 10   ガエタノ・コンプリ神父がチマッティ資料館の館長に任命される
888 1 平成12年 2000       チマッティ資料館のホーム・ページwww.v-cimatti.com始まる
889 1 平成12年 2000 8     資料館内外の改装工事完成
890 2 平成12年 2000 10 6   調布で「アミチ・ムシカ・ドン・チマッティ」によりコンサート「心が歌うチマッティ神父」。最初のCDとして発表される
891 2 平成12年 2000       イタリアでTassinari著“DON CIMATTI VISTO DA VICINO”再販
892 1 平成12年 2000 12     「チマッティ資料館ニュース」第一号が出る
893              
894 2 平成13年 2001 1     前述の本の翻訳は『チマッティ神父と歩んだ日々』の題で出版
895 2 平成13年 2001       Teresio Bosco - コンプリ著『日本を愛した宣教師』出版
896 2 平成13年 2001 6 15   聖イグナシオ教会で来日75周年記念コンサート
897 6 平成13年 2001 6 19   Dal Fior Luigi神父が帰天。音楽で活躍した
898 2 平成13年 2001 9 3   CD『チマッティ神父 その声 その心』発行
899 2 平成13年 2001 9 9   調布のグリーンホールでコンサート
900 2 平成13年 2001 11 15   最初のチマッティ神父カレンダー発行
901 2 平成13年 2001       CD『マリアさまを歌うチマッティ神父』発行
902              

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